それでも朝日は昇る 11章18節

 しん、と世界は静まり返っていた。窓の外で響いているはずの怒号も、歓喜の声も、何も耳に届かない。己の鼓動さえ聞こえそうな静寂の中で、カティスは立ち上がって、床にうずくまる友を見た。
「これで……よかったのか……」
 沸き上がってきたのは怒りだった。それはあまりにも過酷な運命に対してなのか、それともあれほど愛しいと繰り返しながらも彼女を見捨てた彼に対してなのかも判らない。だが、やり場のない怒りをどうすることもできず、カティスはカイルワーンに叫ぶ。
「これがお前が望んだ結末だったのか? どうなんだ、カイルワーン!」
 ふらり、と立ち上がったカイルワーンは、紙のように白い顔をしていた。だがそれでもきっとまなじりを上げ、カティスに告げる。
「勝ち名乗りを上げろ。戦いは、終わった」
「何を言ってるんだ、阿呆!」
 激昂したカティスは、思わずカイルワーンの胸ぐらを掴む。だがカイルワーンは一歩も退かない。カティスの手を荒々しく払い、叫ぶ。
「アイラの言ったことの意味が、判らなかったのか! 人は降りられない……降りられないんだよ、自分の一生から! それがどんなに辛い道でも、それがどんなに意味の見えない道でも、誰であろうとそこから降りることはできないんだ!」
「カイル……」
「どれほど目覚めたくなくても、夜が明けなければいい、朝が来なければいいと願っても、それでも朝日は昇って、人はまた起き上がらなくてはならない。その日を生きなければならないんだ。それが人生だ。それがたとえ、全て決まっていても、どれほど意味も価値も見えない一生でも、それでも人は降りられない。君も、僕も、この一生を全うする以外の道はないんだ! そのことが、どうして判らない!」
 カイルワーンは泣かなかった。泣くこともできず、ただ叫び続ける。
 耳に甦るのはアイラシェールの言葉。それはずっとカイルワーンも追いかけ続けていた問い。その答えが見えた――はっきりと、見えた。
「人生の価値? 意味? 馬鹿げてるよ、アイラ。そんなものは、始めっからありはしない。ありはしないんだ! 野に咲く花の一輪の一生に、意味が必要か? 野を行く獣の一頭のあり方に、価値が必要か? 人だって同じだ! 人が一人、そこに生きている。ただそれ以上に意味のあることなんて、価値のあることなんて、ありはしないんだ! どんな生き方をするとか、何をなしたかなんて、そんなことには何の意味もない。ありはしないんだよ! 君が、生きていた。ただそのこと以上に、意味のあることなんて、この世には他に、ありはしないんだ……」
 がくん、と音をたてて崩れ落ちた膝。拳が床を叩き、涙のない慟哭が響く。
 やがてカイルワーンは歯を食いしばって、顔を上げた。彼女の望みを叶えるために。己の定めを全うするために。
 自分と同じ運命の痛みを分ける、かけがえのない友に。
「カティス、勝ち名乗りを上げろ。君が王だ! 君は君の運命を全うしろ!」
「カイルワーン……」
 カティスは、その名を呼ぶことしかできない。
「そしてこの命がある限り、僕は君と共にある。この身も、血も、肉も、僕の残りの時間の全て、この世に残った僕の全て――アイラが持っていったものの残りの全てを、君に捧げる。それが僕の運命――僕の望みだ! 受け取れ――」
 カティスは答えられない。ただカイルワーンを見下ろし、戸惑い、そして。
 そんな彼の手を強く掴んで、カイルワーンは懇願した。
「早く、名乗りを上げてくれ。群衆の目を、アイラからそらしてくれ。彼女の体が慰み物になる前に――その隙に僕が拾いにいくから……早くっ!」
 悲痛な叫びを真正面から受けて、カティスは泣き出したい気持ちに駆られた。
 泣く暇すら、自分たちには与えられないのか。
 生き残った自分たちは、一時の嘆きすら許されず、走り出さなければならないのか。
 だけど、それでも。
 カティスはカイルワーンから離れ、彼が階下へ駆け出していくのを見届けると、『拝謁の露台』に向かう。そこには民が待っている。
 彼らの救いを待つ、アルバ一千万の国民が。
 腰から抜いたレヴェルが光を浴びて輝いた。それに応えて弾ける歓喜の声。
 誰も降りられない。降りることはできないのだ。
 カイルワーンの言葉を胸に刻んで、カティスはその一歩を踏み出した。


 大陸統一暦1000年六月十三日、こうして全ては幕を閉じた。

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