それでも朝日は昇る 2章5節

 アルバ王国センティフォリア領およびノアゼット領。それはアルバの穀倉地帯であり、常に火種だった。
 アルバ・センティフォリア・ノアゼットの三国は古くから併合・独立を繰り返してきた。大陸暦七百年代に三国を支配していたのはノアゼット。そこからアルバ国民を率いて独立を実現させたのが、ブロードランズ朝初代王だ。
 そして大陸暦千年代にロクサーヌ朝初代王カティスが、三百年間独立・対立状態にあった三国を併合、現在のアルバに到る。
 したがってセンティフォリア領とノアゼット領に住む者には、『アルバ国民』という認識はない。この二百年幾度となく独立運動が起こり、そのたびにアルバ国軍と衝突を繰り返し、その都度鎮圧されてきた。
 そのため宮廷内には「またか」という空気が流れていた。
 王の前には二通の書状が置かれていた。センティフォリア公爵とノアゼット公爵から送られた、反乱の子細を報告する書状。
「それではセンティフォリア公とノアゼット公の要請どおり、援軍を派遣するということで皆様よろしいですな」
 王城内では閣議が催されていた。
 センティフォリアとノアゼットは、アルバの重要な領土であると同時に、難治の地であった。領主の身分もその重要度と困難に相応した最高位の公爵で、二家ともに王族に端を発するアルバ最大の貴族であると同時に、王家に最も忠実な家臣である。
 この民衆蜂起が多発する両地方の領主が、鎮圧のために援軍を請うのも、またそれに応えて国軍を派遣するのも、もはや慣例となっていた。
 至極当然の軍務大臣の意見に、王を始め各大臣がなおざりに頷こうとしたその時、閣議室の外で騒ぎの声が上がった。
「お待ちくださいっ! どうかっ!」
「どきなさいっ」
 険しく鋭い声とともに、閣議室の扉が開いた。クレメンタイン王は突然の闖入者に、あからさまに顔をしかめた。
「オフェリア」
「父上、閣僚の皆様方、私の話をお聞きください」
「オフェリア、己の立場をわきまえよ」
 父王の叱責にも、オフェリアはたじろがない。凛として、居並ぶ諸公を、父王を見据えて言う。
「立場をわきまえているからこそ、黙ってはいられないのです! 私はアルバ国第一王位継承者――いいえ、アルバ王太子です! 国の大事の前に、どうして黙っておれましょうか!」
 ロクサーヌ朝十二代、一度とて女王が立ったことはなかった。男子に恵まれなかったクレメンタイン王の後継は、第一王女オフェリアの夫と誰もが思っていた。それ故次代王の座を巡る貴族間の争いは熾烈を極め、二十二歳になる彼女はいまだ未婚だ。婚約者すら定まらない。
 だがオフェリアはその現状に、もはや黙ってはいられなかった。
 おとなしくしとやかと思われていた第一王女の激しい言葉に閣僚たちは呆然とし、王は沈黙した。――王だけは、娘の性格を判っていたからだ。
 彼は厳しい眼差しで娘を見据え……やがて口を開いた。
「言ってみろ」
「今回の反乱は、今までのものとは訳が違うように思われます。アルベルティーヌ駐留の全軍を派兵するのは危険です」
 王女の言葉に、閣僚たちはざわめく。
「恐れながら王女、訳が違うというのはどういう意味でございます?」
 軍務大臣の問いに、オフェリアは息を整えて答えた。
「まず一つ目。なぜ今民が蜂起したのかをお考えください。今までの民の蜂起は、それなりのきっかけがありました。民の怒りが爆発するような、事件がありました。勝ち目のない戦いに向かって一歩民を踏み出させるには、それ相応の理由が必要です。それが今回、見当たらない。――慢性的な理由は常に心の中に抱えておりましょうが、それだけでは蜂起には到らない」
「なるほど」
「二つ目が、なぜセンティフォリア・ノアゼット同時なのか。両方の民を激昂させる民族対立事件が起こったのでもなく、極端な増税や飢饉が起こったのでもない現状では、これはあまりに不自然です。とすれば、この二つの反乱は示し合わせて起こされた可能性があります」
「オフェリア、お前は何が言いたい?」
 クレメンタイン王は、ただ静かに問うた。それは怒りではなく、真剣に彼女の言葉を吟味しているように思われた。
「おそらく民を煽動した者がいます。――実際に民を煽動したのは、地下に潜っていた現地の独立活動家たちでしょうが、センティフォリアとノアゼットの活動家たちの間に入って仲介し、同時に行動を起こすよう唆した人物が、います」
 でなければ、同時に蜂起することなどあり得ない。
 センティフォリアとノアゼットでそれぞれ民衆を煽動し、率いている者たちは、お互いの蜂起を間違いなく知っている。
 偶然など、ありはしないのだ。
「それは、一体誰で、一体何を目的に……」
 おろおろとした閣僚の声に、オフェリアはかぶりを振った。
「判りません。ですが、目的はおおよそ見当がつきます」
 その言葉に、クレメンタイン王は静かに侍従に言った。
「椅子を一脚持て」
「は?」
「オフェリア、座れ」
 その言葉の意味するところは、閣議室に居合わせた全ての者に伝わった。オフェリアは一瞬安堵の笑みを浮かべ、力強く「はい」と答えた。
「ゆっくりと、説明してみろ」
 オフェリアは父の言葉に微かに息を吸い込むと、呼吸を整えて説明を始めた。
「問題の人物が何者なのかははっきりしません。ですが一つだけ確かなのは、センティフォリア人でもノアゼット人でもない、ということです。あの仲の悪い二民族間の交渉の仲介を、どちらかの国の人間が容易にできるものではない。それに」
「それに?」
「何より気になるのは、先に言ったように『勝ち目のない戦いに挑む動機』です。たとえセンティフォリア・ノアゼット両方同時に蜂起したとしても、本国の派遣部隊が到着すれば、勝ち目はありません。それは今までの歴史が如実に表しています。それなのに、どうして彼らは蜂起したのか――いいえ、どうやって勝ち目のない戦いに民を煽動できたのか。一つだけ、可能性があります」
 閣議室が静まり返った。その中、オフェリアは全員を驚愕に落とし込む一言を口にした。
「この状況でも、勝つ方法が、一つだけあるのです。『勝てる』という確証があれば、民は動きます」
「そ、それは王女……一体どんな」
「センティフォリア・ノアゼット両地方同時に派兵をするとなると、アルベルティーヌ駐留軍のほぼ全軍になります。そうなればどうなります? 首都に残るのは首都防衛大隊一師団のみ。これではがら空きも同然です。そこを襲われたら」
「アルベルティーヌは……」
「落ちる……」
 閣僚たちは皆、顔色をなくした。王はただ黙って、娘の言葉を聞いていた。
「つまり、センティフォリア・ノアゼットの両独立活動家たちを唆し、連携させて民衆蜂起に駆り立てた人物は、また別の軍事力・勢力を保持しています。ですから、センティフォリアもノアゼットも、勝つ必要はないのです。ある一定期間――その第三の勢力がアルベルティーヌを陥落させるまで、国軍を引き止めておければいいのですから。センティフォリアやノアゼットから軍勢を引き返してくるまでの間にアルベルティーヌが落ちたら、それで終わり」
「つまりお前は、第三の勢力がすでに虎視眈々とアルベルティーヌを狙っていると言いたいのだな?」
 父の言葉に、オフェリアは確証はありませんが、と小さく呟いて続けた。
「そう考えると、すべて辻褄が合うのです。事の起こりは、第三勢力。彼らがセンティフォリア・ノアゼットの独立活動家に接触し、同時の蜂起と制圧に来た国軍の引きつけを依頼する。見返りはアルバ制圧・ロクサーヌ朝打倒後の、センティフォリア・ノアゼット独立・新自治政府の承認。アルベルティーヌを第三勢力が確実に落とせるという確証があれば、悪くない賭でしょう」
「だが、王女、アルベルティーヌを陥落するなど、どんな証拠を持ち出せば確信できると」
 不安と振り払うように努めて明るく言う大臣に、オフェリアは沈んだ眼差しを向けた。
 まだ判らないというのか。
 そんな彼女の心を読んだように、王が口を開いた。
 重苦しい声で。
「……外国か。第三勢力の後ろ楯は」
「センティフォリアとノアゼットの仲介役は、恨み重なるアルバ人では容易でありません。一番立場がよいのは、外人かと」
 座は重苦しい沈黙に包まれた。オフェリアの危惧が現実のものだとすれば、自分たちの進退が極まったことに気づかされたのだ。
 センティフォリア・ノアゼットを失うまいと両方に派兵をすれば、アルバ本国が外国の軍勢に急襲された際、手も足も出ないまま敗退するだろう。しかし駐留軍だけでは反乱は鎮圧できない。そうすれば、センティフォリア領もノアゼット領も失うことになるだろう。
 だが今センティフォリアとノアゼットを失えば、自給率の低いアルバは間違いなく食料不足に陥る。物価は高騰し、経済は混乱し、国は弱体化するだろう。
 そうなれば、近隣諸国が黙ってはいない。
 どこにも逃げ道がない。
「大陸全土の大使に、至急早馬を送れ」
 静かな声で、クレメンタイン王は侍従に告げた。
「火急に情報を集めさせろ。特に軍の動きだ。少しでも変わった動きが見られるようだったら、委細構わず大至急報告させろ」
「はっ!」
「センティフォリアとノアゼットには、予定通り援軍を送る」
「父上!」
 声を荒らげたオフェリアに、王は静かに告げた。
「我々は今センティフォリアとノアゼットを失うわけにはいかない。そうなれば、国民が飢える」
「父上……」
「『センティフォリアとノアゼットに依存することなかれ』――併合時のカティス王と賢者の言葉だったな。情けないことだが、お二方の言うとおりであった」
 貧国――特に農業貧国であったアルバが今日のような繁栄を遂げられたのは、間違いなくセンティフォリアとノアゼットあってのことだった。両国から輸入していた穀物を、自国の生産物として安く流通させられるようになって初めて、アルバには発展に向かう余裕ができたのだ。
 しかし英雄王と賢者は、この日を予測していたというのだろうか。
 それならばなぜ彼らは、二国を併合したのだろう――。
 意識が離れかけたオフェリアを、父王の言葉が打つ。
「外交で外国勢力を牽制し、その間に第三勢力を潰す。アルベルティーヌを落とせるだけの兵力は、そう簡単に移動できない。陸路なら中央陸路、海路ならレーゲンスベルグ辺りからの上陸になる。たとえ隣のフェディタとて、それだけの軍を動かすとなればすぐに判る。手は、まだ打てる。間に合う」
「はい」
 オフェリアは頷いた。外国の動きを抑えられれば、反乱軍に勝ち目はない。自分の考えが杞憂ならば、なおのこと重畳だ。
「警戒は怠るな。確かに首都をがら空きにすることは、賭なのだから」
 だがその父の言葉を聞いてなお、オフェリアは心にまといつく不安を拭うことができなかった。
 自分たちは、まだ何かを忘れていないか?
 まだ何かが自分たちの足元をすくう可能性が、あるのではないか……?

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