それでも朝日は昇る 7章8節

 自身の孤独を、決して自身に届かない場所で思われていた。ウェンロック王の不幸は、そういうことだったのだろうか、と後にこの時の状況を知ったカイルワーンは思った。
 そして彼がそんな孤独を抱くのであれば、側近にする人物を決定的に間違っていたのだということも、また。
 伝説は真実ではない。歴史書すら真実を語らない。そのことははなから判っていたことではあるが、ウェンロック王にまつわる一連の出来事は、その一言に尽きた。
「陛下、お気持ちはお察しいたします。しかし、あなた様は王です。あなた様の肩にはアルバ王国一千万の国民の命が乗っていることを、どうかお忘れにならないでください」
 自室を訪れ、そう言ったアイラシェールに、ウェンロック王は厳しい眼差しを向けた。頬の肉が落ち、顔色の冴えない王の形相は、彼女にわずかでも恐怖すら感じさせた。
「ではアレックス、問うが、なぜお前は国を、民を救わなけれはならないというのだ? 国が救われること、民が救われること、それがお前にとっては、何の意味があるのだ?」
「陛下……それは」
「私にとってはどうでもいい。もう、どうでもな」
 疲れきったように、侮蔑するかのように吐き捨てる言葉に、アイラシェールは顔色をなくす。ウェンロック王は部屋の片隅のサイドテーブルにおぼつかない足どりで歩み寄る。そこには空になったワインのデキャンタが、幾つも転がっている。
 エヴァリン公妃が眼前で自害したあの日から、ウェンロック王は完全に政務を放棄した。自室に引きこもり、昼間から酒をあおった。説得に訪れる者をことごとく門前払いし、粘り強く扉を叩き続け、迎え入れられた者は、大抵彼の投げやりですさんだ姿を見せつけられ、時には侮蔑の言葉をぶつけられた――この時のアイラシェールのように。
 こうして二週間、アルベルティーヌ城は完全に硬直した。
「結果的に、厄介な人物を野に放ったな。無論しばらくは動けまいが……」
 宮廷から退出した後、自邸に副長たちを招いたフィリスは、目の前の酒にも酒肴にも手を出さず、苦々しく呟いた。事態はこの二週間で、思わぬ方向へとどんどん流れていた。
 陣営の重責を担っていたソムブレイル子爵の凶行、エヴァリン公妃の不名誉な死と不祥事が続いたラディアンス伯爵。彼はその責を問われ、宮廷内での権力を一気に失い、彼の一派はその勢力を失うものと思われた。だが彼は、公妃死去後たった二日で一気に動いた。
 彼は自ら宮廷内での全ての役職、権限を返上し、自ら蟄居を申し出た。そして表に現れぬ王の承諾を得る間もなく、瞬く間に支度を整えると、ラディアンス伯領に駆け戻った。これに多くのラディアンス派貴族も追従し、宮廷よりラディアンス派の人間は消えた。
 だがこれは、ラディアンス派の敗北を意味しない。これはラディアンス伯が宮廷での腹の探り合いに見切りをつけ、軍事行動に出ることを決断したことに他ならなかった。
 諸侯は自領の王であるが、それとともにアルバ国の廷臣である。したがって自領と首都アルベルティーヌを往復することになるのであるが、近年諸侯は枢密会議の参加のために、一年の大部分をアルベルティーヌで過ごしている。これは、諸侯たちを自領に戻さないための引き止め策の意味も持っている。
 これはウェンロック王に限った策ではないが、彼の治世は特に反乱の危険を抱えていた。いつラディアンス伯やフレンシャム侯が、退位を求めて反乱を起こしても不思議ではない状況であるからだ。それ故王は、二侯を自領で軍勢を整えられないよう、アルベルティーヌに囲っておかなければならなかったのだ。
 だがラディアンス伯は身内の不祥事を逆手にとって、電光石火で自領に逃げ帰った。その理由付けは誰にも否を唱えさせないものであり、フィリスたちはそれに対しもはや打つ手がない。そして伯は自領で隠密裏に軍勢の整備に務めるだろう――来るべき時のために。
 となれば、フレンシャム侯とて黙ってはいないだろう。彼も理由をこしらえて自領に戻り、自軍を整備する。この二つの軍勢の睨み合いは、いつか何かのきっかけでぶつかり合い、そして。
 その内戦の火は、アルバ全土を焼き尽くすだろう。
「ただし事態が複雑なのは、勢力が二つではなく三つだということです。しかもどの勢力にも、他の二派を一蹴するだけの力がない。一派と戦えば、その側面をもう一派に襲われることが判り切っている。そして三派がそれぞれに、どこをまず潰せばいいのか判らずにいる。これでは迂闊に動けない」
 エスターの指摘を、フィリスは苦いため息で肯定した。それは一種の三すくみだ。
 今まで三派は宮廷の中で策謀を手に睨み合っていたのだが、このままでは国の全土で軍隊を背後に控えさせて睨み合いをすることになる。
「団長、これは申し上げづらいことなのですか」
 ためらいがちに口火を切ったリワードに、フィリスは怪訝そうな顔をする。
「何だ?」
「このことを、我々は今までできうる限り考えないようにしてきました。けれども、昨今の陛下を見ると、もう考えずにはいられない。――我々は、誰に未来を託せばよいのでしょう」
 リワードの言葉は、沈黙をもたらした。
「ラディアンス伯もフレンシャム侯も、己に何かあれば子息や令嬢がおります。もし直系が絶えても、二侯の王位継承権の元になったレオニダス陛下の従姉妹君、テレサ王女、マルガリータ王女の他の子孫が継承権を主張するでしょう。その点で、二派は時間的な制約を受けることはない。ですが、我々にはウェンロック陛下しかおられない。そしてその陛下すらも、もはや――」
 言葉尻を濁したリワードに、フィリスは瞑目した。
 ――お前の乗る船は、本当に沈みゆこうとはしていないのか?
 父親である子爵の問いかけは、まさにこのことだ。
 ウェンロック王の後継争いが、国を割る内戦に発展することは、もはや止めようがない。だがその時、自分たちには誰を主に戴き、誰を王にするために戦えばいいというのか。
 自分たちが敬愛するアレックス侯妃の養父、バルカロール侯爵か。それとも派閥最大の所領と軍事力を持つアルバ随一の大貴族、ジェルカノディール公爵か。
 彼らが王座につくことは、不可能ではないだろう。彼らとて、機会があれば二侯を押し退け、王位をうかがおうとは思っているだろう。彼らに追従するのが、最も安全な道であることは判っている。
 だがそれに対して、否と叫ぶ心がある。
 それでは、ラディアンス伯やフレンシャム侯に跪くのと何ら変わらないと。
 それでは何のために頑なまでに二侯に与することを拒んできたのかと。
 近衛騎士団は、主に中・下級の貴族の子弟で構成される。ある面王と同列である封建領主である大貴族では、王の忠実な手足にはなり得ないからだ。そして過去、王の信任と寵愛を受けて、出世を遂げ、破格の権力を握った者は少なくない。フィリスもまた自分がそういう存在であることを自覚している。
 だがそれも、平時でのことだ。一度戦になれば、意味を持つのは、どれほどの戦力を用意できるか、ただそれだけ。王は封建領主の軍事力に頼らざるを得なく、最終的には彼らの動きが国家の――王権の行方を左右する。
 そして自分たち下級貴族は、結局は彼らに追従するより他ない。
 どれほどの理想を掲げても、どれほどの努力を重ねて結果を出したとしても、最後に勝つのは大貴族に生まれついた者たち。その受け入れがたい図式。
 船は沈む。しかし自分たちは、既存の船に乗り換えることが、どうしてもできない。
 だとしたら、とりうる道は。
 ようやく自分のグラスを手にしたフィリスは、部下たちに不意に問い返した。
「リワード、エスター。あの日のことを覚えているか」
 突然話題が転換し、二人は疑問符を浮かべる。
「侯妃がサロンでお話しくださった、統治者と被支配者の論理を」
 そう言われるだけで、二人には何の話かすぐに思い至る。それは二人の心に、あまりにも深く刻み込まれた一日。
『そもそも、どうして王家の人間以外が王になることはできないのでしょうか』
 論議が行き詰まったサロン。沈黙が下りた広間にぽつりと響く、高くて細い声。
『残虐な、愚鈍な王を戴いた国は――その国の民は不幸です。国民の血と汗で培われた努力の結晶も、全て王の胸先で灰塵に帰す。それなのに、その王を選ぶものが地位や貴族間の力関係、そして血統でしかないのならば、国民の命運はそれこそ『運』に委ねられていることになります。それはあまりにも悲しいことではないのですか』
 うつむいて呟くマリーに、不意にぶつけられる言葉。
『そうかしら?』
『侯妃?』
『本当に国の命運を、王が――為政者が全て握っている? それは大きな誤解よ、マリー』
 一同の視線は、このサロンの女主人に集まる。惑いがうかがえる幾人もの顔を見やって、彼女は静かに告げた。
『以前お話ししたように、統治者と被支配者との間には一種の信頼関係が存在します。被支配者は統治者が税を正しく使い、被支配者のために正しく権力を行使すると信頼し、税を納め、時に徴兵に応じて戦い、統治者の権力を保証し支えます。統治者は、その信頼に応えるのが責務です。ですが、それに対して統治者が裏切りを行った時、被支配者はどうすればいいでしょうか。判るわね? 被支配者は統治者を支えることをやめればいい。それだけで統治者は何もできなくなる。統治者が――王が絶対者だと思うことは、大きな誤りよ。国民に背かれた王は、もはや王であり続けることなどできない』
 この言葉を口にする彼女の顔によぎった苦い色の意味を――彼女の内心を、察せられるものはいない。だがそれでも、彼女はためらわず宣する。
『そして、民は信頼関係を汚した統治者を排除する責任を負っています。それは権利ではないわ。責任なのよ』
 ざわり、と座が揺らいだ。宮廷の、国の有り様をたやすく否定し、震撼させるその言葉に、騎士団員たちは顔色をなくす。
 だが同時に、その言葉は目を洗うほどの新鮮さを持っている。それは今まで考えもしなかった新しい考え――その慧眼。
『それはどうしてですか? 侯妃』
 恐れず問いかけるのは、マリー。弟子の問いかけに、静かに侯妃は答えた。
『悪政に対して国民が沈黙することは、その悪政に加担し承認することと同義です。仕方ないの一言で諦め、為政者と国家に寄与し続けること、そのことが悪政や国家の悪事を支えているのですから。ですから為政者が悪政を行い、それに苦しめられるのならば、それを支えることを否定することは――時に武器を手に取り、為政者を除くことすら、国を支える者たちの責任です』
 背筋を寒気が走るのを、マリーもフィリスも感じた。
 アイラシェールが語ったこと、それは既成の概念を根本からうち崩すもの。
 それはこの王政を。封建社会を。
 絶対とされている王権さえ、彼女はたやすく否定して見せる。
『侯妃は、たとえ王であっても、道を踏み外せば弑すことが許されると……そう仰られるのですか』
『それは国民の選ぶことです。そして私は、そうして王を廃して民が国政を握った国を、幾つも知っています。国民の選挙によって選ばれた者たちが、国民の信任を受けて統治を行う国を』
 そうして彼女が自身の国を滅ぼされ、血縁を全て失ったことなど、団員たちは知る由もない。彼女が語る言葉が、多分に皮肉をも含んでいることもまた。
 だが彼らには、それだけで十分だった。
『――今はまだ、この国ではまだ、夢物語でしょうけれども』
 椅子にもたれて苦笑する彼女に、一同は言葉もない。
 それはまさに、夢の中に漂っているような感慨を持たせた。
「俺はあの時の侯妃の話が、頭から離れない」
 目下の者たちにしかしない砕けた口調でフィリスは呟いた。
「我々は、とてつもない方を主として戴いたのではないか。あの方は、我々が及びもつかないような高みにおられるのではないか。卑小な我々とは隔たった、至高の座に」
 そんな彼の遠い眼差しに、リワードはワインを口に運びながら応えた。それはディリゲントの一件で、最も早くアイラシェールの慧眼に接した者の偽らざる本音だ。
「アレックス侯妃の目には、我々とは違うものが見えているのかもしれません。侯妃が預言者だと噂されるのも、もっとも――きっと未来さえ、あの方の手の内だ。だが……いえ、だからこそ、我々はあの方に魅了される」
「リワード、その台詞をマリーが聞いたらどんな反応するかな?」
 茶化すエスターに、リワードは苦みばしった表情を見せた。
「今のマリーならば、『そうでしょそうでしょ』とはしゃいでくれるよ、きっと。侯妃の虜になっているのは、俺以上にあいつだ」
 この言葉を、エスターは苦笑で認めた。そんな二人のやりとりに、フィリスも小さく笑った後に、問いかける。
「もうお前たちも判っているだろう。このまま手をこまねいているだけでは駄目だ。あの言葉は、それが判っていながら、何の手も打たずずるずると事態を静観している今の俺たちへの叱責に感じられてならない」
 二人は答えられない。
「侯妃には、そのつもりはないのかもしれん。だが、このまま陛下が政務を放棄し続けるのならば、それを黙認し続ける俺たちにも責はある」
「ですが、団長。ならばこれからどうしようと――まさか」
 はっとして、リワードはフィリスを見た。フィリスが、なぜ今ここで、侯妃の政治理念を持ち出してきたのか、その理由に思い当たった。
「まさか、アレックス侯妃を……」
「侯妃さえ、夢物語だと言った。だがそれでも、そこが未踏の原野でも、我々は道を切り開いていかなければならない。たとえ我々がどれほど逆賊と罵られようとも、それが国のため、民のため、そして侯妃のためになるのならば」
 壁にかけられた蝋燭の芯が、火花を上げて焦げる音すら聞こえるほどの沈黙が下りた。恐れと勇気を持って口を開いたのは、エスター。
「具体的には、どうするつもりで?」
 応えてフィリスが口にしたことに、二人は息を呑んだ。
「……本当にそれでよろしいのですか」
 迷いがありありと見て取れるリワードに、フィリスは苦渋を飲み下して告げた。
「俺は侯妃に言った。誰に憎まれようと、誰に蔑まれようと、俺は侯妃の信じる正義を実現してみせると。そのためにならば、手段は問わない。いくらでも汚泥も汚辱もこの身に引き受けてみせる」
 フィリスは手にしていたグラスを卓に置いた。かつんと音をたてるガラス。ゆらゆらと揺れる赤い海は、見つめるエスターとリワードの内心を写し取ったかのようだ。
 だからフィリスは、敢えて問いかける。
「二人とも、降りるのならば、今だぞ」
「その台詞、本気で仰っておられますか」
 微かな怒りと、揺るぎない自負とを浮かべて、エスターはフィリスを見た。
「我々が――私とリワードが、あなたを裏切ると本気で思っておられる? だとしたら、我々はあまりにも安く見られているものです」
「泥にまみれて、沈んでいくしかなかった我々を、拾い上げてくださったのはあなただ。その時、私たちはあなたに誓った――終生、あなたと道を共にすると。そのことをお忘れになられましたか?」
 この瞬間、近衛騎士団の命運は定まった。当事者――ウェンロック王とアイラシェールの関わりのない場所で、騎士団はその主を定め変えてしまい、そのことに二人はその時まで気づかなかった。
 緋焔騎士団と呼ばれるその軍団の、最初。
 その行動は、一枚の決議書から始まる。
「どういうことだ! 説明しろ、元帥!」
「陛下の精神の病が重篤であり、政務を遂行しえない病状であらせられるのは、もはや明白。となれば、国政の円滑なる遂行のために、枢密会議により摂政を任命することは急務と思われますが。フレンシャム侯」
 冷徹な表情を崩さぬまま告げるフィリスに、場のフレンシャム派の貴族たちはざわめきを抑えきれなかった。
 ウェンロック王の恩寵厚い――つまりは王がその権力の後ろ楯である近衛騎士団長が、自ら王を切り捨てに回った。それは一同の動揺を誘わずにはいられない事態だ。
「そこで、貴卿は一体誰を摂政に……」
「一介の貴族に、陛下の代行という恐れ多い職務を預けるわけにはいかない。となれば、考えられるのはただ一人」
 フィリスは決議書を指ではじいて、円卓の中心に滑らせる。するりと滑り、くるくる回るこの国の命運。それはフィリスの枢密会議への挑発なのか、それとも自信なのか。
「まさか……」
「ルナ・シェーナ王妃殿下、それ以外の誰が考えられましょう」
「馬鹿な! 王妃は貴様らの傀儡ではないか!」
 期せず上がった声に、フィリスは笑った。それは底意地の悪い、恐れを感じさせる笑み。
「王族に対する不敬、いくら侯爵であっても許されるものではないのでは?」
 反駁の声を上げかけたフレンシャム侯は、不吉な予感を感じてそれを呑み込んだ。
 フィリスがこの笑みの裏には、何かが隠れている。
「ところでフレンシャム侯、最近私邸の方にオフィシナリス人が何人も出入りしておられるようですね」
「元帥、君は何を――」
「昨今オフィシナリスでは、古代への復帰、回帰といった気風の高まりに連れて、魔術や神秘術、占星術が流行していると聞き及んでおります。よもや」
 一旦区切った言葉が、場の空気を凍らせる。
「陛下の気の病は、あなたのかけられた魔術ではありますまいな? 侯」
 フレンシャム侯は、ここに至ってフィリスが用意した、ごく単純な罠を自覚した。
 アルベルティーヌの憲兵は、アルバ国軍首都防衛大隊の管轄下にある。そしてアルバ国軍の全権を握っているのは、フィリス。
 そうなれば憲兵は、いかなる証拠とて掘り出してくるだろう。そう、用意してでも。
 魔術の類に手を染めることは、この国では重罪中の重罪。
 言い逃れの余地は、ない。
 無実だと叫ぶことの意味のなさを、誰よりもよくフレンシャム侯は知っていた。
 力を失って椅子にへたり込むフレンシャム侯を見やると、フィリスは満足そうに宣言する。
「そう、それでいい」
 この言葉の、その意味。
 この時、会議場に居合わせた全ての貴族たちが見た。フィリスが腰の聖剣、エスカペードの柄に触れるのを。
 その瞬間、微かな音が響いた。かちゃり、というそれはわずかな間隔を置いて、部屋の外から幾つも聞こえ、誰もがフィリスの暗黙の恫喝を理解した。
 それは剣の柄に手をかけた音。
「さて、各々方、どうされます?」
 フィリスの問いかけはただ一言。これで全てが足りた。
 後に第三勢力を構成していたいわゆる三侯、バルカロール侯爵・ジェルカノディール公爵・ドランブル侯爵は述懐することになる。
 以前から自分たちと、近衛騎士団の面々との間に溝は存在した。お互い決してかみ合わぬ、譲れぬ一線が存在した。それは大貴族と下級貴族の差であり、それ故彼らは自分たちすらも切り捨て、独裁の道に走ったのだと。
 もしもこの時、自分たちが彼らの脅しに屈せず、命がけで彼らを止めていたら、もしかしたらこの後の彼らの暴走はなかったのだろうかと。
 だがそうなったとしたら、自分たちがこの後出会い、心酔することになるあの人物たちの台頭もまたなかったのだろう。そう考えると、何が正しかったのか、どうすればよかったのか、判らなくなってくるのもまた事実。
 かくして枢密会議による政治体制は幕を閉じる。王の側近、近衛騎士団によるクーデターという、あまりにも意外な結末をもって。
 後に残ったのは、全ての者から見捨てられ、打ち捨てられたウェンロック王と。
「どうしたらいい……どうしたらいいの」
 確実に破滅へと近づく足音を聞き、怯えるアイラシェールと。
 そして最後の劇の、幕が開く。

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