彼方へと送る一筋の光 15

 俺はマリコーンの街の中に設けられた宿営から、領主館を眺めやった。無論アルベルティーヌ城とは比べようもないが、それでも質実剛健な城館がそこにそびえ立っている。
 あれを全軍で攻め落とすべきか。それとも潜入の手段を探るか。
 俺とセプタードは傭兵団の精鋭五百人を連れて、海路マリコーンに入った。偽名を使い所属を隠してグリマルディ伯爵の傭兵徴募に応じ、その宿営に身を寄せる。マリーシアがレーゲンスベルグを訪れてから五日後、ロスマリンが囚われてから十日が経過していた。
 号令をかけてからの、うちの野郎どもの働きはめざましかった。ロスマリンを『お前の女』と平然と言い切り「ただじゃおかねえ」と言い捨てたウィミィやセプタードは、そもそも俺の兄弟弟子だから気持ちは判らんでもない。だが真の目的が『ロスマリン救出』だと知らされた若い団員たちの怒髪天ぶりは、正直俺ですらひいた。こんなにもあいつがお前らに慕われているとは知らなかった、と言ったら「団長のその自意識の低さと自覚のなさが頭にくるんです」という意味不明の言葉とともに、凄い剣幕で睨まれた。
 通常であれば数日はかかるだろう出立準備を、奴らは一昼夜でやってのけた。先発隊は海路、残りはいくつかの隊に分けてそれぞれ別の傭兵団の名義を名乗らせ、陸路でマリコーンへ向かわせる手はずを整える。
 そんな中飛び込んできたのは、あまりにも突拍子もないこの言葉。
「私も連れていきなさい。子どもたちを預かってもらう手はずは、整えてあるから」
 その瞬間、俺はさすがに目が丸くなった。
「はあ?」
 俺らしくない素っ頓狂な反応だったとは思うが、他に俺の心情を表しようがなかった。
「アデライデ、ちょっと待て。セプタードがついて行くところまでは、何とか妥協する。だがお前が来て、それで何をするって言うんだ」
「本当に判ってない男ね。あんたにも直接言わないといけないの」
 あんたに『も』と言われるのは、おそらく夫であるセプタードのせいだ。ということはすでにあいつは説得済みなのかよ、と俺は内心独りごちる。
 だがそんな俺に、アデライデは怒りすら感じられる勢いで告げた。
「もしロスマリンが傷を負っていたら、あんたはその時どうするの。どう対処するの」
 その時俺は心臓を叩かれたような衝撃を受けた。
 アデライデが示唆する『傷』の意味するところは、言うまでもない。いざそうなってしまった時、ロスマリンの心と体をどう手当するのだと聞かれたら、正直答えられない。
「その時には――ううん、それだけじゃない。助け出した後、あの子を心身安定させて連れ帰ってくるには、どう考えても女の手がいる。あんたたち男にあの子のことは任せられない」
 俺はアデライデの言うことの正しさに、心底脱帽した。
 結局俺では――男では、女の気持ちも体のことも判らない。それは事実だ。
 思わずがっくりうなだれ、しばし。幼子がいるこいつまで巻き込みたくない、という葛藤としばし戦うも、どう考えてもこれ以上の人選などあり得るはずもなく。
 顔を上げ、力なく告げた。
「すまない、夫婦共々世話になる……」
「そういう物言いは、セプタードが嫌がるからやめて。ただでさえ暴走気味なんだから」
 違いない。俺はうなだれたんだか頷いたんだか判らない勢いで、深く頭を垂れた。
 こうしてアデライデは、マリコーンの街で情報収集をしながら、その時を待っている。護衛もつけてあるし、いざ脱出行となった時には、即座に合流する手はずは整えてある。
 そうしてマリコーンに入って二日目。事件は早々に起こった。
「片腕もない奴なんぞクソ役にも立たねえ。目障りだ、契約金置いてとっととうせな」
 どこのどいつか判らない。だが体格と腕力ばかりで、いかにも使えない風情の男に、いきなりからまれた。
 それは俺にしてみれば、はなから予想していたことだ。戦場での古傷や欠損を抱えている傭兵は少なくないが、それでも隻腕は目立つ。他人を蹴落とし多くの報酬を得たい者が集まるこの場で、攻撃されるのは至極当然の成り行きだ。
 いちいち相手にしていても始まらない、と最初は思った。だがそのやり取りを、領主館から来た監督官が見ていたのに気づいて、俺は策を巡らす。
 これで名を売り、領主館潜入への足がかりを作るのも、一手。
「私闘じゃない。ちょっとこいつと腕試しをさせてくれ」
「ああ?」
「この男が俺を疑っている。あんたたちとしても俺を雇った以上、使い物になるか不安はあるだろう。もし俺が負けたら、解雇してくれていい。だが俺が勝ったら、俺の下についてる者たちも含めて、契約金をちょっと上げてくれ」
「そいつはいいや。それじゃ俺が勝ったら、俺があげてもらえるんだな」
「その代わり、お前も負けたら解雇だ」
 そうして俺を侮った男は数分後、無残に沈んだ。
 確かに俺の利き腕は右だった。けれどもこの十四年、何もしてこなかったわけじゃない。左手だけでも剣が使えるようそれなりの鍛錬はしてきたし、兄弟弟子たちもそれなりに俺に付き合ってくれた――まあ、それなりに。
 だがおそらくランスロット・アイル門下の『それなり』は、世間のそれとはずれている。セプタードもウィミィも、多分それが判っていない。だから奴らの『それなり』についていければ、そこそこ戦場で使い物になるだろう、とは踏んでいたのだ。
 だけど弱ぇなぁこいつ、という身も蓋もない感慨を抱きながら、相手の振り回すだけに毛の生えた剣をよけ、叩き落とし、一気に懐に潜り込んで剣を回すと、柄頭で胸の急所を突いた。味方である以上斬るわけにはいかない。呼吸困難に陥ってうずくまる相手に、勝敗もはや火を見るより明らかになった。
 呆気にとられる監督官と観客を置き去りにして、俺は宿営内の自分たちの領域に戻る。だがそんな俺を一人の男が追いかけてきていた。
「お見事だった」
 周囲には俺の配下しかいないという危険な場所で、その男は気楽な風情で言ってのける。
 年は俺らより上だ。細身だが日々の鍛錬を怠っていないのだろう体躯と、短く刈った銀色の髪が目を惹く。使い込んだ剣帯と、帯びている質実な剛剣が、この男の戦歴を物語る。
 油断ならない。そしてきっとこの男は、さっきの奴など比べものにならないほど、強い。
 視線を滑らせれば、傍らのセプタードも同じことを感じていたのだろう。両手がすぐさま抜刀できる位置にある。
 宿営は、剣呑な気配に包まれた。
 だがそんな俺たちに、男は飄々としながら言ってのけた。
「先に言っておく。私は君たちの敵じゃない。君たちがここに来るのを待っていた」
「……なに?」
「あのエスター・メイランロールを斃した腕前、確かに見せてもらった。利き腕を失っても剣才は健在なようで何よりだ――ブレイリー・ザクセングルス傭兵団長」
 誰もがその瞬間、言葉を発しはしなかった。しかし、ざわ、としか表現しようもない気配が、どよめきのように辺りに満ちる。
 それは殺気だ。
 ほとんどの者が剣に手をかけた。実際抜いた者もいた。だが男は一切表情を変えず、俺たちに告げた。
「ここで私が死ぬと、後で君たちと、君たちの元団長がとんでもなく困るよ。それでもいいかい?」
 その示唆するところは明白だ。俺たちだけではなく、カティスが困る――それはこの男が王朝の立場ある人間であることを意味している。だがそれでも、味方だと判ずることはまだできない。
「団長……」
 動揺する声が耳に届いた。だから俺は無言で手を挙げて配下を制し、そして。
 男を睨んで、問う。
「お前、何者だ」
「ルイスリール・ベルカント。身内の傭兵たち何人かと一緒に、今回の徴募に応えた。ルイスとでも呼んでくれ」
 にこり、と気安い笑顔で男はそう名乗った後、さらに平然と言ってのけた。
「勿論偽名であることは、最初に言っておく」
 この瞬間おそらく居合わせた全員が、内心で「お前ーーーっっっ!」と絶叫したに違いない。だが言葉にしなかった配下どもを、俺は褒めてやるべきところだろう。そんな俺たちに突きつけられたのは、さらに信じがたい一言。
「私はこんなところにいるはずがない人間だからね。だから名乗らないし、君たちはたとえ私の正体に気づいたとしても、確証を得ていない方がいいんだ。その方が平和だよ」
 不敵な笑みが閃いた。明らかに危険であるにも関わらず、それすら愉しむような不遜な態度に、俺は予感を抱きつつ問いを重ねるしかない。
 こいつ、もしかしたら。
「なぜ俺のことを知っている?」
「簡単なことだよ。私は君に会ったことがあるんだ。いや、正しくは、見たことがある、かな? 隻腕という目立つ特徴もあるし、印象深かったからすぐ判った」
「いつ、どこで」
「王宮で」
 ただ一言の答えは、すべてを物語っていた。俺が王宮にいた時、それは十四年前の革命の時。
「俺の記憶にはないぞ」
「そりゃそうだろう。私が君を見たのは、君がまだ意識を取り戻す前のことだから」
 つまり、と悪戯を仕掛けるような意地の悪い笑みが、ルイスリールの面に閃く。
「陛下と閣下は、瀕死の重傷を負った君の病室に、特に信のおける医師と看護師以外、決して立ち入りを許さなかった。衛兵にがっちり入口を守らせ、許可のない者は決して通させなかった――人質にするに君は格好だったからね。そんな君を『貴方たちがそこまで心を寄せる相手を見てみたい』という興味だけで見舞うことを、お二人に許していただくことができる存在――それが私だよ」
 俺は言葉が出てこなかった。思わずセプタードの顔を見ると、奴もまた唖然としていた。
 俺の――俺たちの推論が、間違っていなければ。
 こいつ、本当に、絶対、こんなところにいてはならない男だ。
「それでも言葉だけでは、何の証拠にもならない。――これに見覚えはないかい?」
 そう言って懐から取り出されたもの。しゃらり、と鎖が音をたて、銀の円盤が俺たちの眼前で揺れる。俺とセプタードは目を見張るしかない。
 知っている。俺たちはそれを、そしてその持ち主を。
 カイルワーンの懐中時計だった。銀色の機械時計は、あいつがレーゲンスベルグに来た時から使っていた――すなわち未来からもたらされた遺物の一つ。
「なぜそれを、お前が持っている……」
「閣下は城を出る時、私物のほとんどを『銀嶺の間』に置いていかれた。だから陛下はそこを処分する時、我々に一つずつ、好きなものを持っていくことを許してくださった。あの方を偲ぶよすがとしてね」
 ルイスリールが切なげな目をしたことを、俺とセプタードは見逃さなかった。時計を握りしめ、その拳に口づける仕草は、明らかに何かを悼んでいた。
「だから私はこれを選んだ。これを閣下が革命の最中に身につけているのを、私は見ていたからね。いつかこんな風に役に立つ日が来るだろうと思っていた」
 もう判った。名を問わずとも、これだけでもう判った。
 間違いない、こいつはあの男だ。
「信じてもらえたかな」
「本当に、何でこんなところにいるんだ。一体何が目的で、こんな危険な真似をしているんだ」
 半ば愕然と、半ば呆れて問うしかない俺の物言いに、素性を悟ったと判じたのだろう。ルイスリールは苦笑を浮かべた。
「酔狂だと思ってくれていい。ロスマリンが心配なのも偽りではないし、理由は一つではないけれども、今回の一件のなりゆきと結末をこの目で見物したい、というのが一番大きな理由だから」
「そのために命を賭けるのか」
 呆れた俺に、ルイスリールは笑う。
「命を賭けなきゃ酔狂にもならないよ。ただまあ、今回の一件は命がけでもいいくらいの価値はありそうだし、ここで殺されたとしても、とっとと隠居しろ家督を譲れとうるさい、うちの後継ぎが喜ぶだけだ」
「……おい」
「貴族なんてそんなもん。肉親の情愛なんてものを期待するのが間違っている。そういう点でエルフルトはむしろ例外だ」
 突如出てきたバルカロール侯爵の名に、俺はどきりとする。そんな俺を捉えたルイスリールの目が笑っていて、俺は暗澹たる思いに捕らわれた。
 こいつも知っているのだ。
 一体全体、俺とロスマリンの間柄は、宮廷でどういう認識をされているのだ。俺はこの七年間、一度たりともロスマリンに好意を告げたり、思わせぶりな行動をしたことなどないはずなのに。
 そんな俺の物思いを読んだのか、奴は煽るように告げる。
「そもそもあれには、そんなにロスマリンの先行きをやきもきするのなら、うちに寄こせと言い続けていたんだ。諸侯の過剰な勢力拡大だのなんだのは、うるさい奴には言わせとけばいい。未婚で終わらせるには、あの子はあまりにも惜しいと。だからもし、今回の一件が終わっても状況が変わらないのなら、うちのとの縁談を陛下に願い出る。――今回の一件で、ロスマリンは侯爵令嬢としても女官としても、王立学院の教員としても微妙な立場になる。宮廷に居続けるというのなら、新しい地位と後ろ盾が必要だ。不祥事がなんの傷物だなんのとくだらないことをほざく奴は、私が黙らせる」
 瞬間、場の雰囲気がびきっという音を立てたように思えた。視線を滑らせると、案の定セプタードが凄まじく剣呑な眼差しでルイスリールを睨んでいる。俺はその成りゆきに、内心で冷や汗をかくしかない。
 頼む、キレるな。お前は俺の目付のためについてきたんだろうが! お前が先にキレてどうする!
 だがそんな状況にも一向に頓着せず、奴は憎らしいほどに挑戦的に言い放つ。
「判っているね? ここが最後の機会だ。君がここまで来てまだためらうようなら、あの子は私が浚う。陛下にもこれ以上否は言わせない」
 俺の逃げ道を塞ぐために、わざわざやってきたのかこの男は。内心で呻くが、俺にも判っている。
 これは単なる脅しでない。俺がしくじれば、ためらわずこの男はそれを実行するだろう。もしこの男の正体が外れていなければ、ロスマリンが嫁ぐのにもっとも身分的にふさわしいのは、この男の息子なのだから。
 そしてこの七年間――おそらく近年、ロスマリンに持ち込まれていたのだろう縁談を、本人にも知らせず誰が食い止めていたのかを、俺は嫌と言うほど思い知らされた。
 カティスすまない。俺はお前にどれほど心配かけてたんだ。俺はただひたすら詫びるしかない。
「……それでここからお前は、何をするつもりだ。ただ俺らの見物をするつもりか」
「その込み入った話をする場所と時間を作ってもらえるかな。立って済ませられるような短い話じゃない」
 ルイスリールの言うとおりだった。俺は首肯すると、奴と奴の副官らしき人物を天幕に招く。こちら側は俺とセプタード、二対二の対等の立場で向かい合う。
「まずは率直に話す。私としてもロスマリンの救出と、今回の一件の真相究明をしたい。そのために、君たちと手を組みたい」
「お前なら、俺たちと組まずとも、自分たちだけでロスマリン救出も謀反の鎮圧もできるんじゃないのか?」
 ルイスリールの申し出に、俺もまた率直に問い返す。だが返ってきたのは、意外な答え。
「さっき言ったろう? 私の手勢は、身内の何人か。今回私は、兵を連れてきてはいないんだ」
「なぜ」
「なぜって、当たり前だろう。目立つことはできないということはあるが、何よりも、他家他領の姫であるロスマリンのために当家の兵を動かすことなどできない。正体を隠して潜り込む、それが私にできる限界だよ」
 道理だった。現状、誰も兵力を動かすことができないから、マリーシアは俺たちのところに来たのだ。カティスですらできないのに、ましてやこの男にそれが許されるわけがない。
 だがしかし。マリーシアも含め、カティスの身近はなんでこんなに危なっかしいことをする奴ばかりが集まっているのか。
 奴の心労を慮れば思わずため息をつきたくなるが、今はその場合ではない。
「だが私は、ロスマリンが君たちと懇意であることを、エルフルトと陛下から聞き及んでいる。だから君たちがあの子の危機を察知したのなら必ず来る、きっと誰かが何らかの手段で君たちに伝えると思っていた。だから私は己が身のみで、君たちより先にここに着ければいいと思ったんだ――単刀直入に聞く。いくら兵を連れてきた」
「今ここにいる先発隊で五百。だが陸路で向かわせてる、別名義を名乗らせた別部隊がいくつかある。あと三日あれば、全軍揃えられる」
「それでいくらだ」
「五千」
 ルイスリールの顔色がこの瞬間、変わった。整った面差しに驚愕の色が浮かび、やがてそれは苦笑に変わる。
「……恐れ入った。ロスマリンの婚約が宣言されてから、まだ九日しかたっていないんだぞ。たったこれだけの時間で、その人数を動かせるのか」
「身軽さが俺たちの身上だ。何者にも縛られないために、俺たちは軍属ではなく傭兵団であることを選び続けているのだから」
 レーゲンスベルグ傭兵団とは、畢竟そういう組織だ。確かに俺たちは、レーゲンスベルグを守る責務を担っている。しかしそれは義務ではない。改定も破棄も可能な雇用契約だ。
 俺たちはレーゲンスベルグの所有物ではない。街の所属となることを、所有物として縛られることを拒む。何者に対しても自由であること、それがすべて。それはカティスを隠し守るためが事の起こり――弟子たちが戦場で徒党を組むことに対して師匠が出した条件だったのだが、カティスが去った後も俺たちの譲れぬ一線として存在し続けている。
 それを侵そうというのなら、街を捨てたっていい。それくらいの覚悟はできているのだ。たとえどれほど傭兵団が大きくなろうともだ。
「五千あれば領主館の制圧は余裕だ。その兵力を貸してほしい。対価が必要ならば、言い値で払おう。君たちを雇いたい」
「雇用に関しては断る。対価は別の相手からもらうと決めている」
「エルフルトからロスマリンで、か? かっこいい話だが、五千の出兵にかかる費用を考えると、なかなかにお高い女になったなあの子」
 指摘は図星だった。そこの懐具合を指摘されると、実はとても痛かったりする。バルカロールかロスマリンから事後承諾の報酬がなければ、大赤字どころではない出費だ。
 会計的には今回の一件、一か八かの大博打なのだ。そこをルイスリールに、見事に見抜かれていた。
「ならばこうしよう。ロスマリン救出に対する報酬は、エルフルトから取れ。だがグリマルディ伯爵以下、アルバ貴族の謀反の証拠を掴むことができたら、その対価は私が払う。その代わり、謀反鎮圧の手柄は私がもらう」
「現状そちらに、アルベルティーヌと意思の疎通を図る手段はあるか?」
「兵は連れてこれなかったが、城へすぐさま走っていける密偵や間諜ならうだるほど」
 にやりとしたルイスリールに、俺は舌を巻く。当たり前だ、これほどの男が無防備なはずもない。
「グリマルディ伯爵謀反の可能性について陛下から聞かされた時から、この領内には私の手の者を潜り込ませてある。領主館の中にも、ね」
「まさか、ロスマリンの状況も把握している?」
「安心したまえ。あの子はまだ無事だし、無傷だ。その間諜もまだ正体を打ち明けてはいないが、いざとなれば我らの意思を伝えることができるだろう」
 瞬間、俺は緊張の糸が一本切れたような、そんな脱力感を覚えた。けれども今は喜んでいる場合でもなく、全力で気を引き締める。
 そんな俺に、あからさまに見透かしたような含み笑いを浮かべて、ルイスリールは告げた。
「私と手、組むよな」
 否が言えるはずがなかった。俺は奴の持つ間諜手段が喉から手が出るほどほしいし、奴もまた俺たちの持つ兵力を必要としている。その双方が揃わなければ、ロスマリンも謀反の証拠も掴めないだろう。
 だから俺は、奴に向かって手を差し出した。
「左手での無礼は許せ。ついでに、あなたの身分に相応の礼を取らないことも」
「何を言ってるのかなあ。私はしがない傭兵のルイスリールだよ。何の礼儀が必要だと?」
 茶化すように言いながらも、奴はしっかりと俺の左手を握り返した。契約の握手を交わしてしばし、協議は実務の段階に入る。
「具体的にどうやってロスマリンを救出するか、という話をする前に、一つあなたの意見が聞きたいんだが」
 口火を切ったのはセプタードだった。天幕の床に持参してきたアルバ地図を広げて、問いかける。
「グリマルディ伯爵の狙いは、そちらは何だと考えている?」
「君は団長の副官と考えていいのかな?」
 問いかけに、セプタードに先んじて俺が答える。
「実質的副団長だが、俺と同格と思ってくれ。俺に何かあれば、こいつに全権を預ける」
「なるほど」
 この時ルイスリールは、何かを考え込むような素振りを見せた。その姿に引っかかりを覚えたが、それ以上追求することもできず。とりあえず俺たちは、話を進めることを選ぶ。
「ロスマリンを捕らえることはまだ判る。バルカロールや王家に対する人質。でも、結婚を強要する意図は?」
 セプタードは不可解に悩む表情で、俺たちに問いかける。
「普通に考えれば、侯爵と嗣子を害してのバルカロール侯爵領乗っ取り。だけどそれを狙うなら、事を起こす前に侯爵たちを殺さないか? 今の状況、ロスマリンを傀儡にしました、あなたたちを殺すから暗殺の警戒をしてくださいって先に宣言してるようなものじゃないか」
「確かに」
「ロスマリンの身柄を押さえるのが先決、というのは判らないでもない。あの子をアルベルティーヌでは捕らえられない、自領にまんまとやってくるその時を狙うしかなかった、という仮定もあり得る。でも、だとしたら捕らえたことを秘匿して、侯爵たちの暗殺を行うべきだ。なぜグリマルディ伯爵は、最速でロスマリンとの婚約を内外に喧伝しなければならなかったんだろう。しかもその結婚式が一ヶ月後。長くはないが、決して短くもない。俺たちみたいな輩が、行動を起こすには十分すぎる時間だ」
「その結婚の報が蜂起の号令ではないか、という声もあったが」
「そんなの、味方に密使を送ればいいことだ」
 セプタードは、マリーシアの読みを否定する。とすれば、そこから導き出される推論は、一つ。
「だとしたら、ロスマリンと結婚する――あいつを手中に収めたという事実を知らしめたかった相手は、味方ではない、と」
「そういうことになるんだが、それがなぜなのかが全く予測がつかない」
 眉間に皺を寄せてこぼしたセプタードに、ルイスリールもまた渋い顔をした。
「確かに君の言うとおりだ」
「あの子を捕らえれば本人もバルカロールも言いなりにできる、と伯爵が思っているとしたら、馬鹿の極みだ。確かに謀反ではなく表向き結婚で、しかもそれがあの子を捕らえて強いたものであるという証拠を出し得ないから国軍も動けないし、人質に取られているバルカロールもそうだ。でもそこから先どうするつもりなんだ。延々にらめっこか」
「バルカロールと国軍が動けない、という状況を利用して事を起こすとすれば――」
 俺はアルバ地図の一点を指さす。中央陸路の北部、グリマルディ伯爵領マリコーン――すなわちここ。
「アルベルティーヌからの北上、もしくはモリノーからの南下を、この場所で食い止めることができる」
「もし、グリマルディ伯爵の背後に別の誰かがいるとすれば、この地を押さえることの意味はそれだ。この地は王領とバルカロール侯爵領との間に打てる楔になる」
 ルイスリールが俺に同意する。そしてその先思うこと、おそらく同じ。
 だが、なのだ。
「楔を打ったところで、それでどうなる、なんだ」
 思わずこぼれたルイスリールのため息は、俺の内心も表していた。そしてそのまま奴が地図を指して続ける。
「もし仮に、アルベルティーヌが何者かに南から急襲されたとする。バルカロールは援軍を出せず、出したとしてここで足止めを喰らうだろう。だがそもそも、南から王領が攻められたとしたら、援軍として真っ先に候補が挙がるのは東のドランブルだ。そしてもしバルカロールが北から攻められたら、王領よりもラディアンス伯爵領の方が近い」
「ラディアンス伯とバルカロール侯との間に、確執は?」
「ないね。親密とは言わないが、ともに陛下への忠心は厚く、それを所以とした信頼関係は存在しているよ。陛下の命とあらば、伯爵は全力でバルカロールを支援するだろう」
「ルイスリール。もし全方向から、同時に火の手が上がったら、国は鎮圧にどう兵力を配分することになる?」
 自分でもそれはあまり、と思ってしまうほど大きすぎる仮定ではあったが、可能性はゼロではない。
「フェディタやサフラノがノアゼット、オフィシナリスやヘルモーサがセンティフォリア、エグランテリアやガルテンツァウバーがアルバ本領北部――バルカロール侯爵領を同時に狙ったとしたら」
「そりゃバルカロールとラディアンスが北の守り、ドランブルとジェルカノディールでセンティフォリア、国軍がノアゼット、だろうね。その全軍が三方に散ったら」
 なるほど、とルイスリールは呟く。
「アルベルティーヌが、がら空き」
「とはいえ、そのような大戦は起こりえますでしょうか? 諸外国が、それほどに一致団結してアルバに攻め込んでくるなど」
 ルイスリールの副官が、険しい顔つきで問う。彼の言うことはもっとも――それほどの国が団結できるとは、とても思えない。それを承知の上での仮定ではあるが、不思議にルイスリールがこぼした。
「こういう時なんだよな、閣下がいてくださったらと思うのは。どんな状況でも、閣下が城を預かっていてくだされば絶対に大丈夫だ、足下をすくわれることはない。そう信じることができた」
 こいつ、判ってて言ってるんだよな。俺はその時そう思った。
 多分こいつは、俺たちがカイルワーンをどんな思いで王朝に送り出したのか、判ってるだろう。その上でこう言うのだから、やはり性格が悪いとしか言いようがない。
 けれども、想像もつく。俺たちの知らないあいつ――カイルワーン・リーク大公はきっと、恐ろしいほど眩く人々の目に映ったことだろう。その光彩は、人を惹きつけてやまなかったことだろう。
 それを否定する権利は、真実のあいつの姿を知っている俺たちにも、ない。
「最悪の仮定はそれとしても、やっぱりロスマリンを結婚という手段で押さえる理由がない」
「なんだよなあ」
 セプタードの言に、俺は天を仰いで同意するしかない。天幕内に、けだるい沈黙が満ちる。
「結局ここで推測しても始まらないということだ。――答えは、首謀者を押さえればいずれ判る。さて、ここからどう打って出る?」
 議論を打ちきり、ルイスリールは俺に改める。だから俺は、こいつに会う前に考えていたことを取り出す。
「普通に考えれば、選択肢は二つ。少数で領主館に潜入し、密かにロスマリンを連れ出す潜入戦か、正面から領主館に攻め入ってあいつを確保、全軍でアルベルティーヌかレーゲンスベルグへ走る退却戦か」
「それが定石だね」
「だが潜入戦は、俺たちに経験値がない。そして退却戦を行うとすれば、俺たちは問題にぶち当たってしまう」
「うん?」
「俺たちは、表向きはただのならず者だ。ここで領主館を襲撃してロスマリンを確保することは、犯罪で反乱だろ。領主の花嫁を強奪したようにしか見えない」
 俺の物言いに、ルイスリールは吹き出した。しばし笑いを堪えると、大きく頷く。
「まあ確かにそうだ」
「ロスマリンが伯爵に捕らえられ結婚を強要された、と俺たちを擁護し認められるまでの間、俺たちは反乱者だ。グリマルディ伯爵は己の正当性を主張して俺たちを追撃してくるだろうし、その小競り合いと臨戦態勢をアルベルティーヌまで引きずって持っていってしまうのは、いかがなものだろう。そうあなたに会うまでは、考えていたんだ」
 もう俺たちは、目の前の男の正体に確信を抱いている。もしこの男が、俺たちの後ろ盾として現場にいてくれるのならば、話は大きく違ってくる。
「手柄を寄こせと言ったな。それはこちらとしても、願ったり叶ったりだ。あなたが今ここにいれば、俺たちの行為の正当性は、ロスマリンを確保した瞬間に国に認めてもらうことができる。そして証拠を入手できればすぐさま、あなたの指示の下、謀反の鎮圧を行ったことにすり替えられる」
 本心を言えば、今この男が俺たちの味方としてここにいることは、心底ありがたいことなのだ。無論、本人には言わないが。
「そうなれば、選択肢は一つだな。真相究明のための調査も行うなら、そもそも撤退戦じゃ時間も足りないし、証拠も隠滅される」
 セプタードが俺の意を汲んで、にやりと笑う。予想以上に事態が大きくなってしまったが、むしろこちらが俺たちの得手。
「ルイスリール、領主館とマリコーンを、あなたの真の名の下に占領する。それでいいか」
「陛下には、事が成ったらすぐさま、これは密かに私に命じていたことだ、王命であるとの布告が出せるよう、今から下書きを作っておくように連絡しておこう」
 ぬかりない返答に俺は頷き、瞑目した。
 ロスマリン、これで道筋はついた。だからもう少しだけ頑張れ。
 必ず、必ず俺たちが助け出す。

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