天を渡る風 (15)

「親父は、どうしてお袋と結婚したんだ?」
 偕良は独りで観測をしている緋凌の元に来て、問いかけた。
「俺は春螺を女房にした覚えはないぞ。求婚した覚えもないし、第一そんな不遜なこと、できるか」
「親父でも、そういうこと言うのか。お袋と寝て、俺を作った親父でさえ」
 父の言葉に、偕良は気分を害したらしい。不機嫌そうに言い捨てる。
「誰もがお袋を見上げて、平伏するのに、親父だけは真っ正面に見て、物おじしないで対等にものを話す。親父だけは、お袋を神様扱いしない。そんな親父でさえ、そう言うのか」
「俺は春螺を敬っていないわけでも、畏れていないわけでもない。春螺が神であることを、一番判っているのは、おそらく俺だ」
「なら、何で、あんな態度を取るんだ」
「ああ、それは、意地だ」
 何でもない風に言う緋凌に、かえって偕良が面食らった。
「意地……?」
「俺から意地を取ったら、何が残る」
 自嘲的な笑みを、ほとんど初めて緋凌は息子に見せた。
「人と人の間にある『差』や『違い』や『壁』、これをなくすことはできない。目をそらすこともできない。特に、下の者から上の者を見上げる時はな。考えなければならないのは、差がある、違う、かなわない――それを認めた上で、どうするかだ」
 緋凌は真っ直ぐ息子を見つめて、真摯に告げた。
「お前は同類がいない。神仙を見上げるか、人間を見下ろすか、どちらかしかない。神仙と共に生きていこうと思うのならば、力不足も人の子であるという下賤な生まれも必ずお前にのしかかってくる。相手が構わなくても、お前自身がそれを忘れられない。逆に人と共に生きていこうとすれば、相手がお前を神の子としてひれ伏すだろう。お前がどれほど『気にしないでくれ』と言ったとしても、お前と己を同列と考えられるほどに思い上がれる人間は、そうはいない。どれほどあがいても、人は無力で、お前には並び立てぬ絶望に意志はくじける」
 父の告げる残酷な言葉に、偕良は何も言えない。ただきつく唇を噛み、自分を見つめる息子に、緋凌は静かに続けた。
「どの道を選択しても、お前は『差』に苦しむことになるだろう。だがそれを恨んでも何も変わらぬし、『ないことにしてくれ』と他人に要求するのも無理だ。だったら、『差』の存在を認めて、受け入れた上で、それをどうするのかを考えなければならない。他人とは違うことのできる自分がいる。他人にはない力がある自分がいる。それをないものと考えることは、自分も他人もできない。だったら、その力をどうするのか。使うのか、使わないのか。使わないのなら、どこまで使わないのか。それはお前が、自分で考えるしかない。何が最善なのかを、どうするのが良いのかを、お前が血を吐いてでも考えていかなければならないことだ」
「力を使うな、とは言わないんだな」
 春螺が仙力を使うことを、緋凌が嫌っていることは偕良もよく知っている。だからこその問いに、緋凌は難しい顔を作った。
「俺は春螺と出会ってから十何年、ずっと考えていた。優しさや救いと、甘やかしとの差はどこから生じるのだろうかと。真にどうしようもないところまで追いつめられた人間を、甘やかしはよくないと力を用いないのはあまりにも殺生だ。だが、力があるからといって何でもやってやることは、お節介である以上に、努力して自分で事態を解決しようとしている者に対しての侮辱以外の何物でもない」
「……そうだね」
 偕良はここで初めて、同意した。
「だから俺は、考えろとしか言えない――俺にだって、判っちゃいないんだから。だがもし、お前が人と運命を共にしたいと願うのならば、自分の行いが本当に皆のためになるのか、考え続けなければならないのだろう。そしてそれは、労苦を、悲しみを、痛みを共にし分かち合わなければ、判らぬことではないかと思う。だから俺は、春螺に力は使ってほしくない」
「親父……それは」
「春螺は村人と痛みを共にしては駄目だ。ここの村人――人間に対して、責任を負っては、駄目だ」
 父がとても残酷な、絶望的な言葉を紡ぐ予感を、偕良は抱いた。
 聞きたくない。脈絡なくそう思うのに、それなのに、問うことをやめられない。
「それはどういう……」
「春螺は帰らなくてはいけない。自分の封土へ――自分の責務へ」
「だってここには、親父がいるのに!」
 言うな。聞きたくない。けれども、言葉が許せなくて、それは最悪の問いかけを手繰る。
 叫んだ偕良に、緋凌は悲しいほど優しく告げた。
 予感が告げた、最後の言葉を。
「偕良。俺はもう、長くない」

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