それでも朝日は昇る 1章6節

 その塔は『赤の塔』と呼ばれていた。王朝がブロードランズ朝からロクサーヌ朝に変わり、王宮の増改築がなされるにつれ、壊されることもなく忘れられた一棟。ブロードランズ朝末期に建てられた離宮の一部だというが、真偽のほどは定かではない。
 クレメンタイン王が、生まれたばかりの子どもを信頼できる乳母に託し、この塔に幽閉したのは、生後三日とたたない日のことだ。
 王は出産に関わった者全てに箝口令を敷き、王国全土に第三子死産の報を流した。そして第三子が、白い髪と赤い目――『魔女の色彩』を帯びた女子であったことは、王宮内の秘中の秘とされた。
 かくして第三王女の存在は闇に葬られたのであるが、命までも葬り去れなかった父の内心を、オフェリアは量ろうにも量りきれない。
 父は妹を愛しているのか、いないのか。
「お前はアイラシェールのことが、憎くはないのか?」
 彼女が十五の時のことである。その疑問をぶつけた彼女に、逆にクレメンタインは問い返した。その顔に浮かんだ表情が何をどう表しているか、オフェリアには判らなかった。
「どうして、ですか?」
「あの子が生まれなければ、シェリー・アンはあんなことにはならなかった」
 魔女の色彩を持った娘を産んだために、狂ってしまった母。今日こそはと希望をもって訪れ、いつも失望を抱えて帰ることになる母。その横顔が脳裏をよぎるも、きゅっとドレスの裾を握りしめて、オフェリアは顔を上げる。
「憎くないと言ったら嘘になるかもしれません。けれども、それと同時に――いいえ、それも含めて、あの子を不憫だと、愛しいと思います。父上」
 きっぱりと言ってのけるオフェリアに、クレメンタインはそれ以上何も言わなかった。
 だがそんなオフェリアに、アイラシェールは言った。
「父上は、私のことを十分に考えてくださっておりますわ。だって」
 いつのことか。やりきれなさを抱えるオフェリアに、アイラシェールは屈託なく笑った。
 その笑顔はいつも、彼女の不幸な境遇が信じられないほど明るく、まばゆくオフェリアの目に映る。
「私のところにカイルを寄こしてくださったのは、父上ですわ」
 それは大陸暦1203年。オフェリアがアイラシェールの存在を知った頃と前後する。
 ある日、王の御前に、王立学院の一人の博士が召された。
 ルオーシュ・リメンブランス博士。その名は当時のアルバの人々に、様々な感慨を抱かせるものだった。
 王立学院始まって以来の天才だとか、学問に一度没頭すると他に何も見えなくなる学者馬鹿だとか、幼い息子もろとも女房に捨てられた甲斐性なしだとか、よい噂悪い噂を問わずささやかれる言葉は様々だ。だが一際声をひそめて語られることが、大多数の認識と言ってよい。
 曰く、魔女の研究家――。
 リメンブランス博士は各方面に才能を発揮し、様々な分野の学位を取得していた人物であるが、最終的な専門は歴史学だった。彼の研究テーマは、伝説化し、人々の恐れによって曲がっていく伝承に惑わされず、歴史的な事実として二百年前の王朝交代――『六月の革命』を理解すること。
 その研究テーマは、政変の中心人物である『赤い魔女』を研究することと不可分だった。
 だが魔女はアルバの国民にとって、最も恐れ、忌避される存在である。その魔女に進んで関わり、研究しようとする博士の姿勢は、一般人の目には『奇行』以外の何物にも映らなかった。
 クレメンタイン王はそんな博士との対面に当たって、執拗に人払いをした。かたとも音のしない静かな謁見の間で、王は博士に問う。
「博士の息子は、今年で幾つになった?」
「五歳にございます。男手一つゆえ、到らぬところばかりでございます……」
 苦笑とともに語る博士に、不自然なほどの落ち着きのなさを見せながら、王はさらに問う。
「名は?」
「カイルワーンと申します」
「伝説の『賢者』から取ったか」
 賢者カイルワーン。初代王カティスのただ一人の親友。『六月の革命』においてカティス王とともに革命軍を率いて魔女を倒し、国を救った英雄。
 その後もアルバ国軍を率いて近隣三国――アルバ・センティフォリア・ノアゼットを平定し、現在のアルバ統一王国を作り上げた、アルバ史上最高の軍師。
 王の片腕としてリーク大公の地位と領地を与えられ、この世の栄華を極められる立場にありながら、王国統一後不意に姿を消し、二度と歴史の表舞台に現れなかった謎の人物。
 魔女の時代の研究を生業とする博士らしい名付けだった。
「息子が何か……? 陛下」
 長い間黙りこんでしまった王に、博士は不興をかったかと恐る恐る問いかける。その言葉に、王は意を決した。
 それもまた、巡り合わせというものなのだろう、と内心で呟きながら。
「博士、そなたの息子を、余に寄こさぬか?」
 かくして魔女研究の第一人者、リメンブランス博士の息子、カイルワーン・リメンブランスは『赤の塔』にやってくることになった――。
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