それでも朝日は昇る 10章5節

 イプシラントに集った三十余名の封建諸侯が議場として使っている天幕は、広大な陣営の中でも一際大きく、そして贅を尽くされている。ドランブル侯爵の要請で急遽集まった彼らは、そこで初めて噂の真相と出会う。
 彼は議場の中心に立ち、四方から注がれる視線にも動じることなく、悠然と立っていた。先王を思わせる緑の瞳に、強い意思の力をまとわせながら。
 息を呑んだ者もいた。感心とも取れるため息をついた者もいた。敵愾心に満ちた眼差しを向けた者もいた。
 そしてどうして、と言わんばかりの視線を向けた一人の貴族に、彼は口許に浮かべた、照れたような、申し訳なさそうな笑みで応えた。
 夕暮れ時の天幕、中に灯された何本もの蝋燭が、居合わせた者たちの顔を一際浮き上がらせる。
「婉曲な言葉で、上辺を取り繕ってもしかたがない。率直にお聞きしてもよろしいか?」
 口火を切ったのは、第一発見者であるドランブル侯爵だった。最大限の警戒と敬意を持って問いかける彼に、カティスは軽く頷いてみせる。
「貴殿は、本当にレオニダス先王陛下のご落胤であらせられるのか?」
 三十余名のうち、ただ一人を除いて誰もが一番に思うその問いに、カティスはあっさりと答えた――誰もが耳を疑う、その答えを。
「さあね」
「さあ……って、ふざけているのか!」
「ここでふざけてもしかたがないだろう。本当に判らないんだから、こうしか答えようがないさ。俺の母親は、どんなに聞いても、父親が誰なのか教えてくれなかったし……もしかしたら、下手すりゃ本人にも判っていないのかもしれないな」
 飄々とした態度で、そして封建領主たちを相手にするにしても、あまりにもぞんざいな口調で、カティスは答えた。その彼の言葉に、態度に、貴族たちは唖然とする。
 そんな彼らに、カティスは意図的に意地悪く言い放つ。
「だいたいだ。たとえ今俺が、レオニダス先王の子を名乗ったとして、貴公らはそれを、はいそうですかと信じるのか?」
 それは確かに、諸侯の急所を的確に突いた言葉。
「この世に父親と子の血のつながりを証明するものなんて、何一つない。たとえ俺がレオニダス先王に似ていたとしても、他人の空似だと言われればそれまでのことだ。――確かに俺はレヴェルを持っている。だが、それは俺がレオニダス先王の子だという証拠にはならないし、貴公らも認めはしないだろう? 違うか?」
「ならば貴様は、王権の証であるレヴェルをおそれ多くも私有し、王子を騙ろうというのか! それは国と王権に対する無礼であろう!」
 いきり立って叫ぶ一人の貴族に、カティスはなんら動じることもなく答えた。
「確かに俺が王子であるという証拠もないし、否定する証拠もまたない。だから俺は、王子であることを一生涯、肯定も否定もする気はない。だが、レヴェルは俺のものだ。気にいらんが、それがレオニダス先王の遺志だからな」
「それは、どういう意味だ」
「レヴェルが決して盗むことのできないものであることは、貴公らの方がよく判っているだろう。俺が誰の子で、俺の母親と先王の間でどんなやりとりが合ったのかは知る由もない。だが、一つだけ確かなことは、レオニダス先王が俺を身籠もっていた母に、レヴェルを持たせたということだ。それは先王の意思だろう?」
「それは……そうだが」
「そもそも、根本的に問題とすべきことが違うんだ」
 ぐうの音も出ない諸侯らに、カティスは切り出す。
「今問題とすべきなのは、俺が本当に王子なのか――レオニダス先王の子であるのかどうか、ということじゃない。貴公らアルバの封建領主が、レオニダス先王が選んだ王位継承者というものが必要なのか――俺を王子にして、担ぐ気があるのか、ということだ」
 にっこり、と試すような笑顔で告げられた言葉を、一同は動揺を持って受け止める。
「それは……どういう意味だ」
「いきなり、何を言い出すんだ、貴様は!」
「俺が王子であるのかどうかは判らない。だが、俺ならば、レオニダス先王が選んだ後継者を――真の王を、演じることができる」
 その言葉は、真相でありカティスの心の屈折を見事に表していたが、その微妙な意味合いを感じ取れる者は、この場にはいない。
「いらないか? 誰にも与していない代わりに、誰からも中立の立場にある王位継承者は」
「それが、我らのいかなる得になろう?」
 押し殺した声で問いかけた男に、一同の視線が向いた。ラディアンス伯爵エルムショーンは、突然現れ、彼を揺さぶる男に、鋭い眼差しを向けて問いかける。
「貴様は、自分が我らにとって邪魔者であるという自覚はないのだろうか? ここに来れば、王子として――王位継承者として迎えてもらえると思っているのか? 王子としてちやほやされて玉座に登り、玉座に収まることができると? だとすれば、おめでたいことこの上ない」
「ふざけるな。俺が本気で王になりたいと思って、ここに来たと思っているのか? そう思っていたのならば、とっくの昔に名乗りを上げて、王子の座に収まっている。貴公とフレンシャム侯との間で、穏健に王位継承の問題を解決してくれていたら、俺は今頃故郷でのんびりと酒でも飲んでるぞ」
 ラディアンス伯の正体をたやすく見抜き、カティスは一転して険しく言い放った。どよめく座を緑の目が睥睨する。
 怒りとも、憎しみとも取れる激しい感情の色をたたえて。
「俺にしかできないから、俺がここに来たのだということ――それが決して、俺の本意ではなかったということを、覚えていてもらわなくては困る。だから、貴公らが、俺をいらないというのならば、今すぐでも、とっとと消えてやるぞ。だが、決してそうはならない――なぜなら、ここにいる大部分の貴族は、俺が必要なはずだからな」
「……どういう意味だ」
「それでは改めて問いかけよう。ここに集まったラディアンス派、フレンシャム派、そして中立の全諸侯。この中で本気で、戦争がしたい、己の身を前線にさらし、領土を賭けて戦いたいと思っている方はどれくらいおられる?」
 不敵な笑みが、諸侯の惑乱を誘った。
「ラディアンス伯とフレンシャム侯は当然だろう。貴公らが争っているものは、玉座だ。命と家の存続を賭けても、戦う意義がある。だが、他はどうなんだ? 確かに内乱を勝ち抜けば、待っているものは輝かしい未来だ。領土の拡大、地位や家名の向上、益は大きい。だが、生き抜き、勝ち抜く確率よりも、戦死と家名断絶、敗北の確率の方が遥かに高いことに、誰もが気づいているはずだ」
 しん、と場が水を打ったように静まり返った。
「対岸のモスカータで起こった王位継承戦争では、十六の上位貴族のうち、滅亡を免れたのはたった二家だけだったそうだ。全貴族では、およそ四分の一――決して低い数値じゃないと思うが、どうだろう?」
「貴殿は、何が言いたい」
「やめないか、戦争」
 あっさりと、とカティスは告げた。
「俺が王になったとしても、戦争を勝ち抜いた時のような領地や栄誉を与えてはやれない。だがアルバの封建諸侯が、一致して俺をまつり上げれば、少なくとも『現状維持』は確実に保証してやれるぞ。現在の地位と、領地と、先陣に立って戦わなければならないことで落としかねなかった貴公らの生命だけは、確実に保証できる。ラディアンス派の人間でも、フレンシャム派の人間でもない俺を戴くのならば、もはや二派に反目する理由はない――まあ、全てのわだかまりを捨てろとは言わないがな」
 不敵な顔をして、カティスは惑う諸侯らに突きつけた。
 それぞれの、運命の選択を。
「選択だ。俺を追い出し、己の命も家名も何もかもを失う覚悟で戦う道を選ぶか、それとも俺を担いで現状維持の安全策を選ぶか」
 ざわざわ、と密やかなざわめきが満ちた。それは率直に、諸侯の戸惑いを表している。
 突然現れた王子が提示したのは、輝かしい奇跡でも熱意でもなく、あまりにも妥当な誘惑だった。ひどく現実的であるからこそ、それは彼らの心を揺さぶる。
「まあ実際、俺が王になったところで、戦争はなくならない。この混乱に対して、外国が――特にセンティフォリアとノアゼットが黙っているわけがない。誰かを担ぎ上げて、協力という名の介入をしてくることは間違いないさ。――そうだろう?」
 カティスが見たのは、一人の青年。己に視線が向いたことに気づき、彼はひどくうろたえる――まるで図星だとばかりに。
「俺が即位したとして、しばらくは戦争に明け暮れることになるだろうさ。だがそれでも、国内で封建諸侯が二つに割れて、戦い合うよりは遥かに被害が少なくてすむはずだ。貴公らの財と領地を、損耗させる程度も遥かに低くなる。……この飢饉で、懐具合も苦しいだろう。内戦なんてやっていられる余裕があるのは、一握りの大貴族だけなんじゃないのか」
 あまりにも痛いところを突いてくるカティスに、反駁の声は上がらない。ラディアンス伯爵とフレンシャム侯爵の長男・アランは、論破の糸口を探すがそれを見つけられず、ただ立ち尽くす。
 彼らは、自分たちの最大の弱点を突かれていることを認めざるを得なかった。
 それは、両派ともにしょせんは利益のみで結びついている、烏合の衆だということ。
「すぐに結論が出せることじゃないだろう。いくらでも考えればいい。だが、時間がないことは判っているだろう。こっちが臨戦態勢を取っているように見えて、実は指揮系統ががたがただってことは、国軍には――バイド元帥とアレックス侯妃にはお見通しだろうさ。向こうは体勢さえ整えば、すぐにでも進軍を開始するだろう。……後のない、手負いの獣は、強いぞ」
「……もし、我らがお前などいらぬと、そう結論を出したら、どうする?」
「それはそれで結構。さっき言ったろう? 俺は好き好んで王子として名乗りを上げたわけじゃない――貴公には判らないことかもしれないが、下賤な者も下賤な者なりに、生活があり、友があり、幸福があった。その全てを、俺は捨ててきた。――王子として名乗りを上げること、玉座に登ること、それが誰もが羨む栄華だと、至上の幸せだと思うのは、とんだ思い上がりだ。貴公らが、俺などいらないというのならば、それで結構。喜んで、俺はここから消えさせてもらう――ただし」
 きら、と輝いた目が、諸侯らにある示唆を与える。
「判るだろう? 俺がここに来たこと、それはもうなかったことにはできない」
 ぞくり、と背筋を寒気が走った。バルカロール侯爵はこの言葉に、噂がなぜ先行したのか――意図的に流されたのかを、知る。
 たとえそれが真実でなくても――いまだ決定事項でなくても、万を越える人の口から口に伝えられれば、それは真実となる。真実でなくなることを、人は許さない。
 この天幕が設営されてある場所は、陣営の中心地。一兵卒の声が届くはずがない。それなのに、確かに聞こえる――怒号とも、歓声ともつかない、突き上げるような声が。
 吟遊詩人は歌い、歓喜の声がそれに唱和する。それが真実民の声なのか、それとも意図的に流されているものなのかは、侯爵には判らない。だがそれも、どうでもいいことだ。甘い夢が、期待が、陣営の全ての兵卒に――否、全ての民に、広がっていく。
 真の王が来たりて我らを救いたもう。
 天の遣わした救い主、我らが王とアルバに栄光あれ。
 微かに届く歓声が、歌う声が、脅迫となって貴族たちの耳を揺さぶる。
 今ここで、彼が消えたらどうなる?
「そしてたとえそうなっても、レヴェルは誰にも渡さない。そうやって特定の誰かを有利にするような真似はしない。もしこれがほしいのならば、力ずくで奪っていくことだ。だから俺は、己の命を含めて、全力で守らせてもらう。業腹だが、それが王剣を預かった者の責任だと思うからな」
 それは示唆であり、脅し。
 もし彼が野に下れば、そこには民が集うだろう。偽りの王を追え、玉座を取り戻せと叫ぶだろう。それをたとえ彼が望まなくても、民は現状の不満を解消するための術として王を憎み、彼を担ぐだろう。
 掲げられるのは、レオニダス先王の遺言――真の王という御旗。
 それを、一体誰ならば止められる? 一体誰ならば。
 そして、もしここで彼が殺されれば。
 その仮定を頭に浮かべた者は、そしてその誘惑に駆られている者は少なくないだろう、とバルカロール侯爵は思った。だがその時は、何としてでもその実行を阻止しなければならない、と戦慄をもって決意する。
 それはカティスの身を案じるからではなく。
 ここで彼が死ねば、間違いなく自分たちの命はない――。
 暴徒化した数万の民衆を、押し止める手段などありはしないのだから。
「俺は相棒のところに厄介になっているから、用があるのならばいつでも呼び出せばいい。可能な限り、いくらでも応じよう」
 言うべきことは言った、とばかりに、さっさと天幕から出ていってしまうカティスを、一拍遅れて諸侯たちが追う。そして彼らは、先を行ったカティスが、少し進んで立ちどまっているのを見た。
 領主たちの議場の前は護衛兵が守り、事の成り行きを見守ろうとする民衆を近づけない。そんなぽっかりと空いた広場の中、どうやって入り込んだのか一人の青年が立っている。
 急場拵えの円形劇場。多くの観客が見守る中、カティスは青年に気楽な声を上げた。
「よう」
「君の用も、片づいたようだね」
「腹減った。なんか食わせろ」
「後ろに居並ぶ方々への、挨拶がすんだらね」
 全身黒ずくめの青年に、一同が息を呑む。それはここ数日、陣営を騒がしていた噂の人物に相違ない。
 どうして奴が――黒い賢者が、カティスと。ざわめく貴族たちが抱いた思いは同じだったが、ただ一人だけあらかじめ彼らを知る貴族は、体が震えてくるのを感じ、己を抱いて一心に彼を見つめる。
 それは約束だった。彼から一方的に突きつけられた、約束。それが今、叶おうとしている――それを喜んでいる自分がいることに、正直本人が驚いていた。
 やはり彼なのだ、と思う心が、どこか弾んでいる。
「諸侯諸賢らには、お初にお目にかかる。若干、初めてでない方もいらっしゃるが」
 青年は、整った面差しにどこか苦い笑みを浮かべて、そんなバルカロール侯爵を見た。
「そしてこの中の幾人かの方たちには、何度となく招請を受けたが、それを今まで拒み続けてきた無礼をお詫びする。――これが来るのを、待っていなければならなかったんでね」
「俺は、これ扱いか?」
「うるさいよ、カティス」
 あまりにも――どこか意図的すぎるほどくだけた口調で会話する二人に、貴族は王子として名乗りを上げた者と、多くの信奉者を抱える賢者の関係を、いやというほど見せつけられる。
 そんな彼らに、青年は極上の笑みを浮かべて、最初の名乗りを上げた。
「僕の名は、カイルワーン。姓は故あって名乗れない――姓もないような、下賤の者と考えてくださって結構」
「貴君は……何者だ」
「アルバの黒い賢者――そう呼ぶ人もいるね」
 笑顔を崩さず――それ故挑戦的に、カイルワーンは答えた。
「生業は医者だ。肩書から言えば、レーゲンスベルグ施政人会議総代表」
 その言葉は、一同に絶大な動揺をもたらした。
 レーゲンスベルグ――王権に反旗を翻し、全ての勢力に対して中立を謳って独立した自由都市。莫大な資金力と優良な工房、そして大きな港を有した、アルバ有数の商工業都市。
 その施政人会議の代表ということは、それはすなわち、レーゲンスベルグの都市貴族の代表――領主を意味する。
 こんな若い男が、それを務めている。それは常識から考えればあり得ないことで、だからこそ彼の――否、彼らの得体の知れなさを倍増する。
 カティスの裏には、大都市レーゲンスベルグがいる。そして、これほどまでに民の信頼を集める男が、横にいる。
 突然現れた真の王。レーゲンスベルグ。そして神の使いのごとく崇められる賢者。幾つかの謎の点は結び合わされた結果が何であるのかを――今何が起ころうとしているのか、その全容を、測ることができる者はここにはいない。
 ただの、誰一人も。
「カティスの傍らには、常に僕がある。そのことをお含みおきいただきたいと思い、挨拶がてら参上した」
 それは脅しであり、挑戦だった。彼を取り込み、傀儡にしようとすることは、決して許さないと、その言葉と黒い瞳が告げる。
「もし俺を担ごうとすれば、全てにおいて次席を担うのはこいつになる。全ての分野においてこの世界最高の天才である、賢者カイルワーンがな。その大前提も踏まえて、考慮してくれ」
 こうしてアルバの全封建領主は、彼らと出会った。史実と伝説において、決して分かたれて語られることのない、一対の英雄に。
 英雄王カティスと、賢者カイルワーンに。

Page Top