それでも朝日は昇る 11章6節

 大陸統一暦1000年六月十二日夜、アルベルティーヌのいたる場所で篝火が焚かれ、人は街路で戦勝に酔いしれていた。
 革命軍が――カイルワーンとレーゲンスベルグギルド連合が用意した糧食が、飢餓に喘いでいた市民たちに分け与えられ、人々は新たに来た王への感謝と期待の言葉を挨拶に、祝杯を上げた。
 封建諸侯は城にほど近い街の中心部、ペルゴレーズ広場で祝宴を張った。恭順と慶賀の挨拶に訪れる街の有力者たちとの対面をこなし、諸侯たちを労っていたカティスは、やがて同じく対面をこなしていたカイルワーンに、肩を叩かれた。
「そろそろいいだろう。行くぞ、カティス」
「いいのか?」
 どこに行き、誰に会うのか。言外に告げるものを読み取り、問いかけるカティスに、カイルワーンは笑って答えた。
「三割は仕事だから、いいんだ」
「じゃあ残り七割は何だ」
「五割が約束。一割が息抜き。残り一割は……そうだな」
 ふとカイルワーンは、寂しげな笑みを落とす。
「未練、かな」
 一方、別の広場に竈をこしらえ、そこで祝宴を張っていたレーゲンスベルグ傭兵団の面々は、歓声が徐々に近づいてくるのを感じて、視線を声のする方へ集中する。
 団員たちと酒を酌み交わしていたブレイリーとセプタードは、通りの向こうから現れた小さな影に、穏やかな、そしてどこか切なそうな笑みを浮かべた。
 たった一月で、自分たちの間はあまりにも大きく隔たった。お互いを思う心は何一つ変わっていないが、状況はそれを許さない。
 正直、どうしていいか判らなかった。
 だがそんな彼らの戸惑いをもろともせず、全身を黒で覆った彼らの親友は、まるで小犬が転がるように彼らの下に走り寄ってくる。
「ブレイリー、セプタード!」
 カイルワーンは二人の下に駆け寄ると、屈託のかけらもない満面の笑みを浮かべた。
「約束を、果たしにきた」
「……ああ」
 差し出された手を、ブレイリーは力強く握り返した。それを咎める者はいない。
「ウィミィ、カッセル、イルゼ……みんな無事で。よかった」
「お前も無事で何よりだ。体の具合はどうだ? 色々、大変だったろう」
「敵の懐に一月も潜り込んでくれてた、みんなほどじゃない。セプタードも大変だっただろう?」
「いつばれるんじゃないかと、何度もひやひやさせられたよ。街中に散らばっていたとはいえ、本拠の屋敷には都合三百人が出入りしてたんだからな。金があっても、食料の手配はなかなか難義だったし……まあ、色々あったが、それでもうまくいったのだからよしとしよう」
 頷くカイルワーンに、ところで、と努めて何でもないことのように、セプタードは聞く。
 それはこの場に居合わせた全ての者が、聞きたくて仕方のなかったこと。
「お前、一人か?」
「まさか」
 あちこちで捕まってるだろうけど、そろそろ来る頃だろう、とカイルワーンは来た道を振り仰ぐ。そして、しん、と水を打つような静寂が訪れた。
 その姿を垣間見ようと人が押し寄せているのに、それなのに音がない。誰も畏れから、声を上げない。そんな人波を割って現れた人物を、レーゲンスベルグ傭兵団の誰もが複雑な心境で迎える。
 広場の中心に、その人影は歩み寄る。上等の絹の衣服とマントが、さらさらと衣擦れの音をたてた。
 万感の思いを込めて、カティスとブレイリー、セプタードは向かい合った。
 跪くべきなのか、この時迷ったと、この後の戦いを生き残った者たちは後に言う。だがそんな彼らの迷いを、カティスの無言の訴えかけが封じた。たとえいずれはそうせざるを得ないのだとしても、今この時だけは、と、その目が、全身が、孤独を拒んで訴えかけていた。
 だからブレイリーは、真っ直ぐにカティスを見つめ続けて、やがてぽつり、と言った。
「とうとう、ここまで来ちまったんだな」
「……ああ」
 それ以上、誰も何も言えず、ひどく長い沈黙が場を支配した。
 だがそれが無駄な一時ではないことを、誰にも判っていた。
「……実は君たちに、頼みがある。僕たちがここに来たのは、そのこともあるんだ」
 やがてカイルワーンは、カティスに代わって傭兵団全軍の指揮を預かったブレイリーに、そう切り出した。
「今日こうして僕たちと君たちでアルベルティーヌを解放した。国軍の兵士はあらかたこちらに投降したが、残存兵力が――緋焔騎士団が、まだ城に立てこもっている」
「ああ」
「城を包囲して兵糧攻めをして、彼らに投降を促すのもいいが、多分彼らは応じないだろうし、僕の非常に個人的な理由で彼らに自決されるわけにもいかない。城に火でもかけられては困る、という事情もある」
 カイルワーンの曖昧な物言いに、ブレイリーとセプタードは頷く。彼らはもう何もかもを知っている。そうなればカイルワーンがはっきりと口にはできないことが何なのかも、察しがつく。
「それで?」
「だから明朝、僕たちは城に突入して、騎士団を除くつもりだ。城内戦だから、大軍では攻め入れない。狭い場所だから、長弓や長銃も真価を発揮できはしない。白兵戦に長けた、少数精鋭の部隊を先遣として送り込むことになる。それに、君たちに加わってもらいたい」
「……お前は?」
 言葉を省いたブレイリーの問いかけに、カティスははっきりと答えた。
「行くに決まってる」
 その瞬間、歓喜が弾けた。傭兵団員たちのその喜びの意味を――自分に向けてもらえた思いを、カティスは全身で受け止めた。
 痛くて、重くて、そしてこの上なく嬉しいその思い。
「そんなの、こっちから金払ってでも加わらせてもらいたい、というものだ。そうだろう?」
「ブレイリー……」
「カティス、カイルワーン、感謝する。最後のこの戦いに、俺たちを共に行かせてくれることを」
 これが最後なのだと、誰にも判っていた。もうこの一瞬を過ぎれば、平伏し、言葉を交わすことさえ許されなくなるのだと。
 だが、その前にもう一度、共に戦うことができるのならば。共に戦場に立ち、背を預け、命を賭けることができるのならば。
 それを幸福と呼ばずに、他に何と呼ぶのだろうか。
 それは見上げるブレイリーたちだけではなく、見下ろすカティスにとっても同じで。
 だから、最も危険な道行きと判っていても、彼らを誘った。そのために彼らの幾人を死なすことになろうとも。
「明日の朝、迎えを寄こす。それまで準備を整えていてくれ」
「了解した」
 こうして最後の夜は更けていく。カティスと、カイルワーンと、レーゲンスベルグ傭兵団総員にとっての。
 そして、城に残された人々にとっても。

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