それでも朝日は昇る 11章10節

 アルベルティーヌ城大門。そこにはもはや、カイルワーンとカティスが心の底から憎んだ門番はいない。
 朝の光の中、微かな輝きさえ放つそれを、二人は先頭で見つめる。
「カイル、俺から離れるなよ」
「自分の身くらい、自分で守れる。心配するな」
 カイルワーンは上着の上から、隠しにしまってある灰色の革袋――その中身を握りしめる。黒の金貨を使い、白のスタリナを使った。そして自分には、この灰色の袋が残った。
 時を共に越え、革命を成すための役割を共に負ったクレメンタイン王の三つの革袋。その最後の一袋の役目はきっと、この城の中である。
 静寂が耳に痛い。張りつめた空気の中、カイルワーンは傍らのカティスをそっと促す。
 大陸統一暦1000年六月十三日。
 運命の一日の、幕が開く。
「カティス、号令を」
 音もなく鞘から抜かれるレヴェル。鍛え抜かれた刃と青玉が、朝日の中で光を放つ。振り上げられた王剣が、行く手を指し示す。
 全身に有らん限りの声で、カティスは一声を発した。
「行くぞ!」
 呼応する叫びが、怒号が、アルベルティーヌの街を揺るがす。全ての者に戦いの始まりを告げる。
 丸太が打ち据えられ、鉄でできた大門が歪み、ひしゃげる。断末魔の叫びを残して、残骸となる憎き門扉を乗り越えると、カティスとカイルワーンは先頭を切って走っていく。
「道案内しろ! 最短距離で行くぞ!」
 この時代の城の見取り図は、賢者の著書の中にある。これまで何度も反芻して確認した経路を、カイルワーンは指し示す。
「カイル、俺らが護衛につく。お前らは、俺らに何があっても構わず先に進め!」
「ありがとう、ブレイリー!」
 ここが夢にまで見たアルベルティーヌ城。踏み込めなくてあんなにも苦しみ、あんなにもあがきつづけた城。
 だが感慨を持って見渡す余裕は、二人にはない。
 その前庭で繰り広げられる乱戦をかいくぐり、カイルワーンとカティス、レーゲンスベルグ傭兵団の精鋭は進んでいく。門扉に手をかけ、イルゼとウィミィが押し開け、その場で床に伏せた。
 予測通り、狙いすまして飛んできた矢。扉横に隠れていたブレイリーとセプタードが矢をつがえる隙を突いて一気に踏み込み、短弓兵を屠る。
 死体を踏み越え、進んでいく一行の前に、一団が立ちはだかる。謁見の間につながる回廊、そこが防衛線なのだろう。十数人の騎士たちが待ち構えていた。
「これを全部片づけてたんじゃ、時間がかかって仕方ねえな」
「ブレイリー、ウィミィ。ここは俺らに任せて、カイルたちと先に行け!」
 セプタードの言葉に、カイルワーンは切迫した叫びを上げた。
「セプタード!」
「アイラシェールに会うんだろう? 時間が惜しい。行け! 俺らに構うな!」
 灰色の目が、力強くカイルワーンを押す。
 もう会えなくなる。もしかしたら、死んでしまうかもしれない。それが判っていても、自分はこの道を選んだ。彼らを犠牲にする道を選んだ。
 歯を食いしばる。
 剣撃の音が響いた。セプタードとイルゼが打ち合い、開いた道をカイルワーンが駆け抜け、カティスが援護する。ブレイリーが追いついて扉を開き、指示を仰ぐ。
「どっちだ!」
「このまま真っ直ぐ!」
 回廊は続いていく。高い天井、遠ざかる剣の音。角を曲がったところで、一行は一人の騎士に出会う。
「カティス・ロクサーヌ、勝負!」
 斬りかかってきた騎士の叫びを、剣を、カティスは受け止める。
「我が名はバーナビー・フェルナンダルル! 我が勝負、尋常に受けられよ!」
「冗談じゃねえ! 貴様ごときにカティスの相手が務まるかっての!」
 カティスが流した剣を、割って入って受けたのはウィミィ。にやりと口許で笑うと、彼はブレイリーに告げた。
「悪い、ブレイリー。あと、頼むわ」
「……判った」
 促され、三人はバーナビーとウィミィを残して先に進む。一度切り結んで離れ、お互いを凝視する。
「お前みたいな小物なら、俺が相手で十分だ。レーゲンスベルグ傭兵団二番隊隊長、ウィミィ・タンロウィサだ。覚えておけ!」
 ウィミィの叫びに、バーナビーはすう、と目を細めてその剣を正眼に構えた。
 カイルワーン、カティス、ブレイリーの三人は王宮を奥へ、奥へと進む。辿り着いたのは『紫玉の間』。公式行事が執り行われる、最も格式の高い大広間だ。
 奥への扉を守っていた騎士はただ一人。彼は己の剣を構え、真っ直ぐにカティスを見据えて宣した。
「騎士の名と名誉に賭けて、貴君らを先に進ませるわけには行かない」
「名を名乗られよ」
「緋焔騎士団副長、エスター・メイランロール。我が主君、アレックス侯妃とバイド団長の御為に、ここで貴君らを倒す」
 レヴェルを上げたカティスを、制した手。一人、一人と減っていった道連れは、ここで最後の一人を費やす。
「まだここは大将の出る幕じゃない。副長相手なら、俺で同等というものだろう?」
「ブレイリー、しかし……」
「まだ向こうの大将が残ってる。任せた」
 信頼を込めてささやかれた言葉に、カティスは一瞬の逡巡の後、力強く頷いた。そして扉を開けるために戦いを始めるブレイリーを見守る。
「そちらに合わせて、こちらも正々堂々と名乗りを上げようか。レーゲンスベルグ傭兵団副団長、ブレイリー・ザクセングルス。カティスの兄弟子、奴と初陣からこれまで戦を共にした親友だ。相手に不足はあるまい!」
「光栄だ。受けて立とう!」
 緋焔騎士団とレーゲンスベルグ傭兵団、その次席を担ってきた者同士は、それぞれの剣を構えて睨み合う。じり、じり、と間合いを取り、間合いを詰める動きを――その隙を、カティスとカイルワーンは一心に見つめつづける。
 先に動いたのはブレイリーだった。斬りかかり、エスターを退かせることで扉の前を空けると、叫んだ。
「行け! カティス、カイル!」
「ブレイリー!」
 名を呼んだ。それ以外の言葉は出てこなかった。胸の中にある思いを全部伝えたいのに、それは何一つ言葉にならない。
 だからカイルワーンは歯を食いしばり、扉に駆ける。『紫玉の間』を突っ切れば、『謁見の間』へと続く控室である『光彩の間』はすぐそこ。
 重厚な装飾の施された扉を、カイルワーンは開ける。きっとそこには、彼が待ち構えているはずだ。
 果たして、彼はそこにいた。緋色の髪を流し、緋色のマントを纏い、腰には紅玉を戴く聖剣エスカペード――赤の騎士の異名にふさわしい出で立ちで。
「よくぞここまで来られた。英雄王、そして賢者」
 静かな、だが威圧感のある声が、響いた。
 フィリスは、真っ直ぐにカイルワーンを見つめた。報告された通り――想像していたよりも遥かに小さく、細い。その体躯は女性と見紛うほどだ。
 だが自分を見返すその面差しは端正かつ峻厳で、確かに知性と揺るぎない意志の力を感じる、と思った。強さというものが、決して体の力だけでは――暴力だけではないことを、嫌というほど見せつけられた気がした。
 あまりにも自分と違う、その存在。
 カイルワーンもまた、フィリスを見つめた。これがフィリス・バイド――この二年半もの間アイラシェールのそばにあり、そして彼女の騎士として後世まで名を残す者。
 見事な体躯。華麗な容貌。誰もが思い描くような、理想の騎士の姿。腰に差した聖剣が、この上なく似合う、まさに騎士の中の騎士。
 あまりにも自分とは違う、まさに自分の対局にいる存在。
 知っているのだ、とカイルワーンは悟った。カティスよりも自分に向けられている、敵愾心に満ちた眼差しで。自分が彼女と関わりがあることを――その上でなお、彼女を滅ぼすためにここに来たのだということを、彼は知っているのだと。
 許せないだろう、と思う。そんな僕のことを、奴は決して許せないだろうと。
 だが、申し訳なさは微塵も感じはしない。ましてや、罪悪感など。
 むしろ、目の前に立ちはだかるこの男に感じることは――。
「緋焔騎士団団長、フィリス・バイド。玉座を掴むためではなく、国を救うためではなく、友のために道を譲ってもらう」
 先に声を上げたのは、カティスだった。レヴェルを構え、フィリスを見据えながら、己を宣する。
「レーゲンスベルグ傭兵団団長、カティス・ロクサーヌだ。王位継承者ではなく、英雄でもなく、ただ一人の人間として貴様に勝負を挑む!」
「受けて立とう、英雄王! 貴様を倒し、賢者を倒し、私は運命を変える! 滅びの定めの星を、この手で砕いてみせる!」
 抜かれるのは聖剣エスカペード。『光彩の間』の中央、光の差し込む優美な広間で、共に鍛えられた双子剣は火花を散らす。
 フィリスと組み合ったカティスは、友たちがそうしてきたように、カイルワーンに声を上げた。
「カイルワーン、俺に構うな、行け!」
 だがこの時ばかりは、カイルワーンは動かなかった。むしろ邪魔にならぬよう壁に退き、腕を組むと静かに告げた。
「いいや。この一戦だけは、僕に見届ける義務がある」
 気持ちは勿論はやる。全てを置き捨てて、ここを抜け、『謁見の間』に駆けていきたい気持ちは勿論ある。
 それは勘としか呼びようがない。だが彼は直感した。
 行っては、いけない。自分はここにいなければならない。
 全てが――自分のために繰り広げられているこの戦いが、終わりの時を迎えるまで。
「見届けよう、僕のこの目で!」
 告げた叫びは、鍛え抜かれた鋼が打ち合う音と重なり、響く。緑の目と灰の目は、お互いを一心に見つめる。その二人を、黒い目が鋭く見据えつづける。
 こうして、最後の戦いが始まる。

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