それでも朝日は昇る 3章11節

「あなた、本当は何を考えておられるの?」
 バルカロール侯爵夫人リフランヌは、寝室で夫にそう問うた。アイラシェールが領主館に入った、その晩のことである。
「あの娘を王宮に入れて、何をさせようというの?」
「お前が考えているとおりのことだ」
 バルカロール侯爵エルフルトは、グラスにブランデーを注ぎながら、答える。
「あの娘はただいるだけで、人の目を集めずにはおれない。すぐに王の目に留まるだろう」
「それでは……」
「あの娘は、ウェンロック陛下の元に送り込む」
 侯爵は自らが臣従を誓うブロードランズ朝の現王を思い浮かべ、苦笑した。
「普通は自分の娘を送り込んで、外戚を狙うところなのでしょうが」
「あの王のところに自分の娘を送るのは、阿呆のすることだ」
 ウェンロック王の後宮は、それまでの王のものとはわけが違う。呆れるほど豪奢な後宮は、ある重大な真実を覆い隠すために――王の虚栄心のためにしか存在していない。そんなところに我が子を送り込んで、何の益があろう。
「これから王宮は、ますます混乱していく。ぼちぼちラディアンス伯爵や、フレンシャム侯爵が動き出すだろう。その前に、何としても王を押さえておかなければならない」
 ラディアンス伯爵とフレンシャム侯爵は先王レオニダスの従姉妹の孫で、ウェンロック王が跡継ぎを残せなかった場合、王位継承権を主張できる立場にある。彼らが王位獲得を目指して蠢動を開始することは、火を見るより明らかであった。
 北の雄・バルカロールの家名に賭けても、彼らに後れを取るわけにはいかない。
「ウェンロック王も今年で五十。レヴェルのこともあるし、後宮には何としても勢力を伸ばしておかないと――」
 レヴェル――言って、ふと侯爵は心に何かが引っかかるのを感じた。それは長いこと思い出そうとして思い出せなかったことが、不意に思い出せた時の感覚。
 記憶を開ける、鍵の力。
 あの娘の家名、ロクサーヌといった。自分は確かに聞き覚えがあると思った。
 あの時の――二十五年前の、あの時の女官の本名。
 これはただの偶然なのか、それとも。
 考え込む侯爵に、少し拗ねたような夫人の言葉がぶつけられる。
「私はあの娘を見た時、真剣にあなたが妾にするつもりで連れてきたのかと思いましたわ」
「おいおい、リフランヌ……」
 侯爵の思索は、夫人の思いもかけない一言で中断を余儀なくされた。
「だって、本当に綺麗なんですもの。同性の私でも、思わず一瞬言葉を呑んでしまいます、あの子には」
「髪は白絹、瞳は紅玉。白磁の肌に曇りなく、夜にのみ姿を表し、花開く相貌はまさに月の如し――といったところかな」
 グラスを揺らして侯爵はブランデーを唇に滑り込ませ、夫人に告げる。
「だが美しいばかりでは使えない。リフランヌ、あの子はお前に預ける。お前が責任を持って、どこに出しても恥ずかしくないよう教育してくれ」
「判りましたわ、あなた」
 大陸統一暦998年六月、北の街は祭の後の寂寥に包まれていた。
 季節はこれから冬に向かい、祭の舞台はこれから遥か南の街へと移っていく。
 南の街は、舞台に上がる役者の到着を静かに待っている。

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