それでも朝日は昇る 4章4節

 大陸統一暦1000年代と1200年代は豊かさにおいて決定的な差があるのだが、その豊かさを支えたものの一つが、新大陸からの新作物の導入である。
 トウモロコシ、トマト、サツマイモ、カボチャ、トウガラシ、インゲンマメ、カカオ、ピーナツ。産地は違うものの、コーヒーに茶。これらの食物が導入され始めたのが、この大陸暦一〇〇〇年代のことだ。
 これらの新作物が受け入れられるには、長い時間を要する。誰もが見たことのない奇怪な作物を好んで口にしようとする者は少なく、また料理の仕方も知られていない。
よってそれらの作物はまだ流通量が少なく、カイルワーンの手に入らない。
 だが、日常の食生活であまりに慣れ親しんだそれらの食品を口にできないカイルワーンの欲求不満は日々増大し、四ヶ月で爆発寸前に達していた。
 その最たるものが、ジャガイモだった。
 そして、医師としてレーゲンスベルグの貧民を診察するうちに、彼は一つの壁にもぶちあたっていた。
 脚気と壊血病が、あまりにも多いのだ。
 この二つの病は栄養失調病で、食生活を改善できれば回復する。だが、日々食うにも事欠く人々が栄養を改善するのは、並大抵のことではない。
 だがそれも、ジャガイモならば解決できるのだ。
「……本当にそれ、うまいのか?」
 カティスは『粉粧楼』の厨房で料理の試作にかかっているカイルワーンに、しかめっ面でそう聞いた。初めて見たジャガイモという作物は、ゴツゴツと小さなこぶが沢山ついていて、いかにもグロテスクだ。
 ちなみにこの料理勝負に当たって、カイルワーンはフロリックに食材調達を依頼した。カイルワーンはこの料理勝負で試みることは、とてもフロリックの交易ルートなしでは実現できないほど、多種多様な食材を必要とした。
 かくして『粉粧楼』の厨房には、プロの料理人であるセプタードですら見たことのない食材が、ずらりと並んでいる。
「食い物は、見た目じゃないよ。これをこのまま食ってくれと言っているわけじゃないんだから――このまま食ってもうまいんだけど」
 カイルワーンは茹でたジャガイモの味を思い出し、この時代の人間の不幸な認識に内心で涙を流さずにはいられない。
「で、これはどうするんだ?」
「それは水から入れて茹でて、串が通るくらい煮えたら皮を剥いて、潰して。青くなってるところには毒があるから、ちゃんと取り除いてくれ」
 セプタードはこの料理勝負に当たって、助手を買って出た。料理に関してはセプタードの方が上だったが、今回は黙々と助手に励んでいる。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「……邪魔だよ、カティス」
 カイルワーンに邪険に追い払われ、とぼとぼとカティスが厨房を後にすると、ホールではブレイリーたちが待ち構えていた。
「様子はどうなんだ、カティス」
「……俺にはさっぱり判らん」
「……だろうな」
 一同は、大きなため息をつくことになる。
「それにしても、俺らのためにあいつに迷惑をかけちまって」
 申し訳なさそうに言うウィミィに、カティスは首を振る。
「いや、それに関しては、そうでもなさそうだぞ。むしろ、奴はこれを機に何かを企んでいる気がする」
 ただ、それが成功するのかどうか――それがカティスには気がかりで。
 そして一週間の試行錯誤がすぎ、約束の期日。出かけようとする二人に、ブレイリーが問いかける。
「勝算はあるのか?」
 その問いに、セプタードはこう答えた。
「あれをまずいと言われるのなら、俺は料理人を辞める」
「あれをまずいと言われたら、僕は人間やめるよ」
 やってられないとばかりに言うカイルワーンに、一同は唖然とした。
「……大層な自信だな」
「そりゃあもう、最後には仕掛けがあるからな」
 意地の悪いセプタードの笑みと言葉の意味を、誰もが理解できない。
「仕掛け?」
「意地の悪い罠、ということもできるけど――まあ、いいよ。帰ってきたらみんなにもご馳走するから、楽しみに待ってて」
 大きな荷物を抱えて出かけていく二人の背中を見送り、誰ともなく呟く。
「……本当に、大丈夫なのかな」
 それは居合わせた人間の、総意と言えた。
 一方フロリック邸の厨房に入ったカイルワーンは、その広さ、設備に目を見張る。
「こりゃ凄い」
 セプタードが口笛を吹く。カイルワーンは腕まくりをし、鼻唄でも歌い出しそうな気分で、持ってきた様々な道具を取り出す。
「さあ始めるぞ」
 これが希代の料理発明家としても名高い賢者カイルワーンの第一歩であることを、本人は苦笑を持って受け入れた。

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