彼方から届く一筋の光 01

 大陸統一暦1217年以降のアルバについて、私が語れることは多くない。私の得られる情報が、全てガルテンツァウバー――グラウス・ブレンハイムを介している以上、そこに隠蔽や操作がないとは言い切れないからだ。
 ただ、それを一言で表すとすればこうなる。
 イントリーグ党による暫定政権は、やはりうまくはいかなかった、と。
 予想通り――グラウスの期待した通り、アルバ国内は政治も経済も全てが混乱をきたした。封建諸侯と富裕層の代表で構成されているアルバ議会は、暫定政府と多くの問題で対立した。センティフォリアとノアゼットでは独立派と公爵たちとの間で内戦状態に陥り、そこに近隣諸国が介入することを止めることはできなかった。
 そんな内憂に加え、巨大な外患も存在した。それがガルテンツァウバー皇太子妃である、私の存在だ。
 イントリーグ党が暫定政権を樹立して間もなく、その宣言は内外に届けられた。
 アルバ王国第一王女、オフェリア・ロクサーヌは今回の政変に際し亡命。ガルテンツァウバーはそれを受け入れ、皇太子との婚姻を提案、王女もそれを了承したと。
 これこそが政変の黒幕であるガルテンツァウバーの真の目的であること、私は本当はグラウス・ブレンハイムにより拉致されたこと、婚姻に私の同意などあるはずもないこと。それらの真相はごく一部の者以外知るよしもないことであるが、知られたところで何が変わるわけでもないことだ。
 そしてあの日から、二年近い歳月が経過した。
「妃殿下には、ご機嫌麗しく存じます」
 後宮にある私の部屋を、その男は何の前触れもなく訪れてきた。
 皇太子妃の部屋に、皇太子はもとより皇帝の許可なく立ち入ることができる。それが今のこの男だ。
 グラウス・ブレンハイム。外交官ブレンハイム卿の子息、という肩書は、もはや彼には必要ない。ガルテンツァウバー海軍士官にして、皇帝の執務を補佐する執務官として、国政の中枢の一角を占めている。皇帝もその知謀を認め重用し、その影響力は高級官僚や大臣たちにも匹敵するとさえ言われている。
 その地位や権力は全て、私の大切なものを全て奪うことで購われたものだ。それが判っていてももはや、歯向かう気力も、逆らう気力も沸いては来なかった。
 今の私は脱け殻か、とどこか他人事のように思う。
 怒ることにも、嘆くことにも、恨むことにも飽いた。全てがもう、どうでもよかった。
「いよいよ、アルバに侵攻を開始します」
 グラウスはもう、上辺を取り繕うとはしない。他の者たちなら「故国を取り戻そう」だの「家族の仇を取ろう」だの、私を気づかうようでその実自分たちに都合のいい言葉を吐くのだろうが、グラウスは明確に「己のために、私を利用している」と言い切る。
 その姿勢はかえって、私の怒りや憎しみを削ぐ。そこまで割り切っている人間には、どんな恨みや呪いの言葉も無意味だ。
「妃殿下も同行されませんか? 陛下の了解はすでに頂いております」
「それは旗頭としての私が必要ということでしょう?」
「あなたが皇太子妃である以上、ガルテンツァウバーにはもはや大義名分は存在している。あなたが私の思い通りに、救国の聖女を演じてくださるなどとは思っておりません」
 平然として言うグラウスを、私は睨む。そんな私に「ただ」と呟いて、グラウスは視線をそらした。
 窓の外の季節は春。アルバではもう、早咲きの薔薇がほころび始めているかもしれない。
「あなたご自身が、イントリーグ党が――アルバが滅ぶところを見たいのではないかと思いましてね」
 その言葉に、私は答えなかった。
 この国を憎んでいる。そう彼に語ったのは、かつての自分だ。だから民のために自分を犠牲にし、この国を救うつもりなどないと。
 だが今はどうだろう。自分はアルバと国民を、憎んでいるのか。自分の手で責め滅ぼしたいと思っているのか。
 それとも故国を愛おしく思っているのだろうか。国民を救いたいと思っているのだろうか。
 そう己に問い、目の前を記憶がよぎった。二年前この男に拉致され、連行されたガルテンツァウバーの王宮で突きつけられた現実。
『イントリーグ党は、アルベルティーヌ市内で大々的な公開処刑を行なったようです。すでに崩御されていた国王は遺骸を晒され、その横で王族や関係者の処刑が続いたと、アルベルティーヌの間諜から報告が届いています。シェリー・アン王妃とエリーナ王女は、斬首に処せられたとのこと』
 ああ、やはりと心のどこかの冷めた部分が呟いていた。私がいる以上、ガルテンツァウバーがエリーナを放っておくはずがない。おそらく脱出途上で捕らえるか、保護するという虚言を用いて手中に収め、イントリーグ党に引き渡したに違いない。
 私は拳を白くなるほど握りしめて、その言葉の続きを待った。本心を言えば、聞きたくはなかった。けれども聞かずにはおれない。知らずにはおれない。
『アイラシェール王女の処刑は、それはむごたらしいものであったそうです。火刑に処せられた後、刑場に押し寄せた市民によって慰み物になったとか。ようやく刑吏が群衆を散らし、遺骸を回収したそうですが、その時にはもう原型をとどめていなかったと』
 ぷつり、と何かが切れた。伸ばした爪が手のひらに刺さり、皮膚が切れ、そして私の中でも何かが切れた。
 なおもある、心の中の冷たい部分は、これが挑発であり誘導であるとは判っていた。グラウスがそうして、アルバとイントリーグ党への憎しみへと、私を追い立てようとしているということは。
 それが判っていてもなおその言葉は、錆びついた刃のように私の心をえぐっていく。
 ぷつり、ぷつりと音がする。何かが切れて、熱いものが流れだす。だがそれは目からではなく、手からだけではなく、人の目に見えない。けれども確かに私の外に流れだして、どこかへなくなっていってしまう。
 そしてその日以来、私の中には何もなくなってしまった。温かいものも、熱いものも、何もかも。
 だから今、グラウスの問いかけに対して思うことは一つ。
 すべてが、どうでもいい。
 どうでも、よかった。
 憎もうが、恨もうが、仇が取れようが、それで何も変わらない。何も、変わらない。
「陛下の了解を得ているということは、もはやそれは決定事項なのでしょう?」
 私の問いかけに、グラウスは答えなかった。ただ、小机の上に生けられていた雪割草を一輪無造作に取り上げ、握りつぶす。
 指の間から、花弁が潰れてこぼれ落ちる様を、私は何の感慨をもたずに見つめた。
 そうして一月。大陸統一暦1219年5月、ガルテンツァウバーはアルバ共和国に対して宣戦を布告し、王政復古と私の即位を要求した。グラウスが指揮し、私が同道したガルテンツァウバー海軍の船団は、アルバとセンティフォリアの国境近い港町、ランザンの沖合に停泊し、暫定政府の回答を待った。
 降伏か、開戦か。暫定政府がどの結論を出すのか、私には判らなかったが、船団の将帥たちは開戦に向けて着々と準備を整えていた。アルバは伝統的に海軍が弱い。陸軍も相次ぐ反乱の鎮圧のため、疲弊している。全面戦争に突入すれば、アルバに勝機は万に一つもない。そう誰もが思っていた。
 そのはずだったのだ。あの夜までは。
 ガルテンツァウバー王宮から同行してきていた女官が、寝室に飛び込んできたのは夜半過ぎ。
 敵襲だ、と。
 その時私はすでに眠りに就いていた。普段全く表情を変えないこの冷徹な女官が、この時初めてわずかに動揺した顔を見せ、私はそれだけで事の重大さを悟った。
「お召し替えの余裕はございません。急ぎ他船へ移乗くださいませ」
 一国の皇太子妃に、寝間着のまま脱出しろという。それが何を意味するのかは、すぐに理解できた。
 この船は、炎上している。
 船室の扉を開けると、黒煙が立ち込めていた。鼻と口を袖口で覆い、女官に導かれるまま甲板に出て、そして。
 私はそこで、信じがたい光景に遭遇した。
 襲撃していたのは、艦隊と呼んで差し支えのない規模の船団だった。砲撃は私の乗っている旗艦と、その護衛艦に行なわれていた。
 今回の派兵には、旗艦の同型艦が三隻派遣されている。そのどれが旗艦であるかは、判別できないないようにしてあったはずだ。それなのに敵艦は、狙いすましたように私の乗艦を攻撃してくる。
 甲板ではすでに、白兵戦が繰り広げられていた。横付けされた小型艇から、敵兵が雪崩を打つように突入してきている。船の消火にかなりの人員を裂かれている海軍は、それを押しとどめることができない。
 敵が相当な手練であることは、素人である自分にも判った。だが。
「一体、何なの……」
 思わず呟かずにはいられない。それくらい、目の前の光景は異様だった。
 なぜなら突入してくる敵兵、その全てが仮面を身につけていたからだ。
 燃え上がる炎の光で敵艦を見やれば、一つの旗も認識票も掲げていないことが判る。その正体を識別できるものが、一つとしてなかった。
 全く正体が掴めない、謎の船団。その不気味さに、知らず身震いがした。
「妃殿下、どうぞこちらへ!」
 他艦の士官が、自分を誘導しようとする。揺れる船上、掴まるものを探しながら何とかそちらに向かおうとした、その時。
 どさり、とその士官の体が揺らいで、倒れた。
 背後から斬られたのだと、私は悟った。
 崩れ落ちた背中から、炎を背にして現れたのは、女。男物の衣服を身につけたその姿は異彩を放っており、肩で切り揃えられた短い金髪が熱風に揺れていた。
 女はレイピアの血糊を無造作に払うと、しっかりとした足どりで私に歩み寄ってきた。そして私を守ろうと立ちはだかる女官に、よく通る声で告げた。
「女性であっても、邪魔をするなら容赦はしない。怪我をしたくないのならば、下がりなさい」
 なぜかこの時、女官は驚愕したような顔をして女を見つめた。だがそんな様子に女は動じることもなく、冷たさの増した声で告げた。
「聞こえなかったか? 下がりなさい」
 ひゅん、と剣が虚空を切り裂く鋭い音が響いた。威圧感に耐えかねた女官が、力なくへたり込んだのを一瞥して、女は私に近づいてきた。
 私はその目に、魅入られたように動けない。女は私に剣と、手を差し伸べ、そして。
 私は誘われるまま、その手を取ることとなる。
「姫!」
 その時、切迫した声が響いた。それはこの二年間、常に私のかたわらにあり続けた声。
「なりません、姫!」
 乗り込んできた男の一人と戦っていたグラウスは、彼らの船に乗り込もうとしていた私を見つけ、そう叫んでいた。だが私の元に駆け寄ることはできない。相対していた男が、それを阻む。
 妃殿下ではなく、今この時姫と呼んだ彼の内心は伺えない。だが私は思わず足を止めた。
 わずかに絡まる視線を切り裂いたのは、グラウスに相対していた男。
「無駄口を叩く余裕があるのか、坊や」
 余裕綽々といった風に、男はグラウスを追いつめる。その力量差は、素人である私でも一目瞭然だった。
「どんな理由があろうとも、惚れた女を他人に差し出す男なんぞ、俺は認めないね」
 男の一言は、別の痛みを伴って私とグラウスの胸に刺さったようだ。グラウスは憤怒と辛苦が混じるような、複雑な形に顔を歪め、その一瞬の隙は痛烈な一撃となってグラウスの剣を弾け飛ばす。
「オフェリア王女は、俺たちがいただいていく」
 この瞬間、全ての勝敗は決した。膝をついたグラウスに、もはや私を止める力も、戦況を覆す力もなく。
「姫、姫ぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!」
 虚しい絶叫だけが木霊し、それに私は振り返ることもなく。
 こうして私は、謎の女たちと行動を共にすることになった。

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