彼方へと送る一筋の光 02

 アイラシェール姉様とは結局のところ、何者だったのか。
 バルカロール家と王家にとって。そして、歴史と世界にとって。
 後者を理解していた存在は、あの998年当時、この世にただ一人しかいなかった。その人物との出会いは、私の運命を大きく転換させることになる――否、定められた運命へと私を押し流していくことになるのだが、それはまだ後の話として、前者は当時九歳だった私にも理解できていた。
 アイラ姉様は、私の身代わりだ。
 姉様は城に出仕して程なくウェンロック陛下に見初められ、侯妃として後宮に上がることとなったのだが、その時私は「やはり」と思った。両親がはなからそれを目論んでいたこと、だから姉様を客人同然にこの城で遇したということ。それを私は即座に察した。
 国はウェンロック陛下の後継を巡って、二つに割れようとしている。それを前に、バルカロール家はその行き方を定めかねている。それは私も判っていた。だから姉様は、その戦いにおいて重要な戦力なのだということもまた。
 だからといって私には、両親の仕組んだその顛末を「仕方ない」と割り切ることはできなかった。
 それは本来、侯女である私の果たすべき役目ではなかったろうか。
 私は考えずにはいられなかった。もしも私がもっと大きければ、姉様のようにしとやかで美しい、妃にふさわしい女の子であったら、姉様は望んでもいない人のところに、無理矢理嫁がされずにすんだだろうか。
 それは嫉妬や羨望ではない。私は寵妃や王妃になりたいと思ったことは、一度としてない。それが大貴族の子女として、目指すべき栄誉、果たすべき使命だとしてもだ。だからこそ、姉様に感じたものはただ一つ――罪悪感だ。
 私はバルカロール家の娘であり、侯爵領の領民に対して責任を背負っている。どれほど私自身がそれを望まずとも、家と領民のために身を捧げよと言われたら、それを拒むことは許されないだろう。だが、バルカロール家の人間ではない姉様が、なぜそうしなければならなかったのか。なぜ犠牲者は、侯女である私ではなく、姉様でなければならなかったのか。そう思えば、私が罪悪感を感じずにいられるわけがなく。
 だから私はあの日――緋焔騎士団の政権掌握の時、姉様を見捨てて自領に逃げ帰ってきた父を、詰ることとなる。
「アイラシェール姉様が殺されると判っていて、どうしてお見捨てになられたのですか! どうして、どうして!」
 それは父母や家臣たちの目には、子どもの駄々に見えたかもしれない。国の事情も、家の事情も何も判らぬ子どもの感傷なのだと、そう思っただろう。無論、私にも全てが判っていたわけではない。姉様が身を呈したからこそ父が城を脱出できたことも、父は姉様も共に連れて逃げようとしていたこと、それを拒んだのが姉様自身だったことも、その時の私は知らなかった。知ることはできなかった。
 それでも、判っていたこともある。たった十にしかならない私ですら、判っていたのだ。
 緋焔騎士団には――城の姉様には、もう先がないということを。
 ラディアンス、フレンシャム両派、そして中立の第三勢力、その全てを敵に回して勝てるはずがないこと。王家の地位を引く後継者を擁立できない姉様たちは、どう戦に勝ち続けたとしてもいずれ行き詰まるということ。
 それがいつになるかは判らない。けれども間違いなくいつか、姉様は殺されてしまう。
 弑逆者として、国を乱した簒奪者として。
 それが姉様の望みだったとは、幸せだったとは思えない。全ては両親が、姉様の品性と美貌を利用しようとした結果として、起こったことだ。それなのにその両親が、あっさりと姉様を切って捨てた。利用するだけして、何一つ報いようともせず見捨てた。それは私にとって、受け入れられることでも許せることではなく。
「父上なんか、父上なんか大嫌い!」
 泣きながら叫ぶ私に、父は何も言わなかった。何も言ってはくれなかった。
 それからの半年を、私は独り祈りながら暮らした。母の厳しい叱責を受け、領主館の最深に半ば閉じ込められる毎日を送りながら、ただ祈り続けた。
 誰か、誰か姉様を助けてください。
 もし神様がこの世にいるのならば、どうか――。
 それが緊迫した情勢の中、私の安全を配慮してことだったことは、今となっては判る。けれども当時はそれを理解できず――そして今でもそのことを、ありがたいとは思っていない――ただ私は、冬の暗い空を見上げ続けた。
 祈ることしかできなかった。
 けれども、そんな便利で都合のよい神などいるはずもなく、時はやがて大陸統一暦1000年7月。私は母に伴われ、初めてアルベルティーヌの門をくぐった。
 新王の戴冠式を目前に控えた王都は、歓喜に沸き返っていた。
 英雄王カティス、賢者カイルワーン。その名を私は、口の中で小さく転がした。それが私の仇か、それがあの姉様を魔女と呼び、無残に殺した者たちの名か、と。
 一月前、父がどんな道を選んだのか。その結果として、内戦がどんな結末を迎えたのか。それは母から聞かされた。母は決して浮かれるでもなく、また私を気づかうでもなく、淡々と事実のみを告げた。
 父が自らの主君として、突如現れた若い王子を選んだこと。彼と彼の親友の登場により、アルバ貴族は一致団結することが叶い、ラディアンス派とフレンシャム派による内戦は回避されたこと。
 そして城の姉様が、その二人の英雄――英雄王と賢者により、討伐されたこと。
 その功績をもって、父が新王朝の副宰相に任じられたこと。
 その時私は、涙も出なかった。ただ自分の中に、津波のように押し寄せてきた重苦しい感情に受け止める。
 私は悲しいのか。
 私は苦しいのか。
 判らない。判らないが、ただ思う。
 私は許せない。この顛末を。この理不尽を。この無情を。
 一体何が悪かったのか。本当はそう思う。一体何が悪くて、こんなことになってしまったのか、私には判らなかった。あの優しく聡明だった姉様が、どうしてここまで国民に憎まれるようになってしまったのだろう。そしてどうして姉様は、降伏しなかったのだろう。勝ち目のない戦いに挑み、多くの命を散らす道を選んだのだろう。
 そして、どうして自ら死を選んだのだろう。
 判らない。だがそれを知りたいと願っても、周囲の大人は答えてはくれないだろう。そして今となっては、それを自ら確かめる手段もありはしない。
 英雄王と賢者、その二人を憎むことは筋違いかもしれない。私の幼い理性ですら、それは理解していた。だって二人はきっと何も知らないだろう。ただ単純に国を憂え、国を救いたいと立ったに違いないのだから。そして事実、英雄王の即位によってこの国が内戦から救われたことは紛れもない事実だ。
 だけど、それでも。それでも誰一人姉様の死を惜しまなかったら。たとえ姉様が変わってしまって、本当に悪逆非道を尽くしたのだとしても、それでもこの結末を寿ぐばかりで悲しまなかったとしたら。
 バルカロール家の者の誰もが、姉様の犠牲を悼むことなく、英雄たちの治世の上で栄華に浴するのでは、それはあまりにも不誠実ではないか。それはあまりにも恥知らずではないか。
 だから私は機会を待った。こんな小さな私でもできる、復讐の機会を。
 バルカロール家の娘として、アイラシェール姉様の死に報いること。バルカロール家と新王朝が、姉様に理不尽な死と不憫な生涯を与えたのだということを叫ぶこと。
 そうしてバルカロール家に傷をつけること。それが小さな私にできる、ささやかな復讐だった。
 その機会は、存外に早く訪れた。戴冠式の翌日、新王は副宰相一家に謁見を賜った。それは戴冠における行事の一つであり、バルカロール家にとって最も晴れがましい一瞬であるはずだった。
 それを目茶苦茶にすることが、何を意味するかは私にだって判っていた。けれどもそれでも構わないと思った。
 家も、国も、自分さえ、もうどうなったっていいとさえ思った。
 そうして足を踏み入れた謁見の間。そこで私は、姉様を殺した者たちを初めて見た。
 緞帳を背後に、一段高い場所にしつらえられた玉座には、一人の男。白地に金の刺繍という派手な式服を難なく着こなせる見事な体躯と、華やかな容貌の持ち主。長い足をやや持て余し気味にしながら、私たち一家を睥睨していた。
 そしてその玉座の下、かたわらに控えるように立っていたのは小柄な男。銀糸で細密な刺繍が施されているものの、黒一色という謁見の場にはあり得ない服装で、しかも副宰相一家の国王謁見という席に、ごく当たり前のように同席していることが、この男の正体を何よりも雄弁に語っている。
 この男が、賢者。私は畏怖も感嘆もなく、その男を見つめた。
 私が本当に憎かったのが誰なのか、本当に許せなかったのが何だったのか、結局のところは判らない。けれども行き場のない怒りと憎しみ、そしてそれに倍する悲しみを込めて、私は叫ぶ。
 英雄王と賢者への、怨嗟の言葉を。
 そして広い謁見の場は、しんと静まり返った。両親は、あまりのことに私への叱責も、国王に謝罪も発せずにいた。国王は怒るでも気分を害した風でもなく、頬づえをついて無言で私を見下ろしていた。
 怒鳴られると思った。無礼者と詰られ、処罰されると思った。その場で剣を抜かれ、斬られてもいいと、それほどの覚悟を決めていた。
 それなのにその幾ばくかの間、国王はどこか面白がるように私を見下ろすだけで、何の行動も起こさない。
 そして私は見てしまった。かたわらの賢者が――同じように私に詰られた人物が、確かに笑っていたことを。
 それはどこか悲しそうだった。どこか寂しそうでもあった。けれども確かに慈愛と呼べる、愛おしみと呼べる、優しい笑顔だったのだ。
 私はその晴れやかな笑顔に戸惑った。どうしていいか判らなかった。
 そんな何とも形容しがたい固まった空気を壊し、最初の声を上げたのは、高みにいた人物。
「カイルワーン」
「……なんだ?」
 これが国王と家臣の会話か、と仰天するほど砕けた口調で、国王は宰相に話しかけ、宰相もそれにぞんざいに応じた。
 実は二人が公式の場でこんな様を見せたことは、破格のことだった――普段は二人がちゃんとお互いを『陛下』や『大公』と呼び、主従としてふるまっていたことを、私は後に知ることになる――のだが、固まり続ける一同に頓着することなく、二人は周囲には意味不明な会話を始める。
「お前、今から何か茶菓子用意できるか?」
 いきなり何を言いだすんだこの人は。私は真剣に思ったのに、言われた賢者は全く動じない。
「夜食に君のところに差し入れようかと思って、かぼちゃパイを厨房に用意してもらってたんだ。今から釜に入れてもらえば、四十分くらいで焼き立てを持っていけるよ」
「お前のパイはうまいからな。そいつは幸運だった」
 紛れもない満面の笑みを浮かべ、国王は玉座から立ち上がる。
「それじゃあ四十分後、お前の部屋で」
「了解した」
 そこだけは臣下らしく恭しく一礼をし、賢者は謁見の間を出ていってしまう。それを見送ると、国王は侍従に平然とこんなことを言ってのける。
「今日のこの後の謁見は、全て中止だ。全予定は明日以降に繰り延べ。俺や宰相の休息時間を削って構わん、何とか調整しろ。今日の予定者にはすまないが、俺と宰相に火急の用件ができたと伝えて、お引き取りねがえ」
「はっ……」
 困惑もあらわに、けれども逆らうこともできずに侍従は了承する。そして国王は、軽い足どりで私の元に歩み寄り、手を伸ばした。
 殴られるかと思った。そうされても仕方のないことを、私は言った。だが――。
「きゃああああっっ」
 突然変わった視界に、私は思わず悲鳴を上げた。国王の突然の行いに、父も動揺もあらわに叫んだ。
「陛下っ!」
「悪い、エルフルト。娘、ちょっと借りるぞ」
 国王はひょいと私を抱き上げると、軽々と肩に担いでしまったのだ。そのまま謁見の間を出ていこうとする彼に、さすがに父も大慌てで叫ぶ。
「お叱りならば我々が、なにとぞ!」
「……そういうことじゃないって、お前なら判らないか? こんな巡り合わせ、二度とない。カイルと俺にしばしつきあってもらうぞ」
 国王の言葉に、父ははっとした表情を見せた。了承したように、粛然とひざまずいた父の真意が判らない。
 そうして私は、国王に拉致されてしまった。
 連れていかれたのは、後宮の一室。そこにぽんと放り込まれて、私はなすすべもない。
「着替えてくるから、大人しく待ってろよ。また来るからな」
 国王の最後の言葉も、訳が判るような判らないような。とにかく私は混乱し、部屋の真ん中に座り込んだ。
 音もない広い部屋にただ一人でいると、急に怖くなってきた。がたがたと震えが走り、それを止められない。
 国王と賢者は、一体何を考えているのだ。私一人をこんなところに連れてきて、一体何を始める気なのだ。
 後宮に連れてこられたということは、そういうことなのだろうか。私はまだ十一とはいえ、そろそろ縁談が持ち上がっても不思議ではない年齢だ。性愛対象として、幼い少女を好む男性がいることだって知っている。
 出してください、と扉越しに願っても、向こう側の衛兵に拒まれる。どうやら国王に、私を出すなと命令されているらしい。窓から逃げ出そうにも、落ちたら間違いなくただではすまない高さだ。
 続きの部屋には、立派な寝台があった。このシーツを破いて繋いだら、ロープにできるかな。
 自分はどうなっても構わないと思って及んだ暴挙だったのに、どうしてこの時逃げ出そうとしたのか。この自分の思考は、後になってみると訳が判らない。おそらく、その時の私は激しく混乱していたのだろう。
 シーツを引き剥がし、その厚い生地を苦心惨憺しながら裂いているところで、突然後ろから声をかけられた。
「……何してるの?」
 ひゃあ、と驚いて振り返ると、そこには賢者が立っていた。どこかで着替えたのだろう、変わらず全身黒だったが、先程より簡素な普段着を身にまとっている。
「あ、あの、その」
「……もしかして、窓から逃げ出そうとした?」
 眉間に皺を寄せて問いかけてきた賢者に、私は恐る恐る頷いた。それを見た彼は、ひどい渋面を見せた。
「……もっともしかして、カティスは君に何も話してない? どうして君に、ここに来てもらったのか」
 また小さくこくんと頷いた私と賢者の背後から、かけられた声。
「すまん。うまく説明できる気がしなかったから、拉致ってきた」
 その刹那、怒鳴り声が飛んだ。
「このど阿呆! こんな小さい子相手に、何考えてんだお前は! こんなに怖がらせてどうするんだ!」
 罵声を浴びせられた声の主――言うまでもない英雄王カティスは、臣下であるはずの賢者に悪びれる風もなく、すまんすまんと頭を下げた。その様を見てため息をついた賢者は、私の視線に降りてすまなそうに詫びる。
「怖い思いをさせてごめんね。この馬鹿がちゃんと説明してくれていると思ってたんだ。僕たちが、君からアイラの話を聞かせてほしかったんだって」
「……え?」
「でも込み入った話をする前に、おやつ食べて落ち着こうか。さっき言ったように、かぼちゃパイ焼いてきてる。あったかいミルクと紅茶もあるよ」
「カイルの菓子はうまいぞ。今日はレシピだけで、直で作ったものじゃないが……まあそのうち、罪滅ぼしになんか作らせる。何でも好きなもの要求していいぞ」
「事の元凶が言うな、事の元凶が」
 確かにテーブルの上には賢者が運んできたのだろう、茶道具の一式と大きなパイ。それと二人の男性を等分に見比べて、私は戸惑う。
 アイラ姉様の話を聞きたい。その言葉の意味が判らない。
「どうして、あなたたちが、姉様のことを……」
 私の問いかけに、沈黙が下りた。国王は何かをためらうように賢者を見、彼はしばらくの間何も言えず。
 だがやがて、私に告げた。
「恋人だったんだ」
 その言葉は、何よりも私の胸をえぐった、
 信じがたかった。
 そして何より、その真実は、悲しすぎた。
「誰よりも大好きだった。今までも、これから先もずっと」
 そんな、と思った。そんな、と。
 一瞬にして、喉の奥が渇いた。それならば、と私は震える声で問いかけた。
「それならば、どうして」
 どうして。
 どうして。
 姉様を。
「どうして姉様を、助けてくださらなかったんですか!」
 それはただひたすら純粋な、当然な疑問。そして私の生涯を通じて、発したことを悔い続けることになる責め句。
 あまりにも過酷な運命を背負ったこの人、賢者カイルワーンには決して向けてはならなかった言葉。
 だが彼は、そっと私に答えてくれた。その胸の奥にあった、他の人には決して明かせぬ本心をもって。
「助けたかった。だけど、助けられなかった……」
 私の胸は、その時感じた。これが真実だと。何も事情は判らない。けれどもこれこそが、この人の心の底からの本心だと。
 姉様を惜しむ私に、痛む心を裂いて示してくれた、誠意なのだと。
 その瞬間、堰が切れた。淀んで凝って、胸の奥で固まっていたものが、溶けだして一気に流れになる。
 ぼたぼたと、涙があふれだした。
「姉様……姉様…………ねえさまっっ!」
 癇癪のように、子どもの駄々のように私はその名を呼ぶ。呼んで叫んで、泣くことしか私にはできなかった。そうして声を上げ、わあわあ泣くことしかできなかった。
 それは目の前の人を責めたかったからじゃない。むしろ目の前の人が悲しかったからこそ。
 その時私は判った。直感的に判った。
 姉様の死は、姉様を誰よりも愛していたこの人ですら、どうすることもできなかったことだったのだと。
 その現実は、ただ悲しかった。ただどうしようもなく悲しかった。
 そんな私を賢者は――カイルワーン兄様は抱きしめてくれた。私の涙と鼻水で汚れるのにも構わず、その胸の中に抱き留め、しゃくりあげる背中をずっとさすり続けてくれた。
 その時兄様が私の耳にささやいてくれた言葉――もしかしたら、私に聞かせるつもりではなく、自分に言い聞かせていたのかもしれない言葉を、私は今でも覚えている。
 ごめんね。
 ありがとう。
 その二つの言葉の意味を、私はその後ずっと考え続けることとなり、そして。
 長じて後――兄様が宮廷から去った後に、私はカティス陛下に内心を打ち明けることになる。
「あの時言ったこと、私は今でも後悔しているのですが」
 どうして姉様を助けてくれなかったのか、と。それは兄様には、決して言ってはならなかった言葉だったと。
 そう言った私に、陛下は苦笑――というより自嘲を浮かべて、私に答えた。
「俺はそうは思わないけどな。多分カイルワーンはそう言われて、嬉しかったんじゃないか」
「どうしてですか?」
「奴は本当はアイラを助けたかった。死んでほしくなんてなかった。物判りよく、見送りたくなんてなかった。それが紛れもなく奴の本音だろうよ。だけどそれを奴は、誰にも言えなかった――俺にもな。だって周りにゃ、アイラシェールを純粋に惜しんでくれる奴なんて、いやしなかったんだから。たとえ惜しんでいても、事情を知っていて過度までにあいつを慮るエルフルトや、あいつが過度に慮る俺には、それは言えんよ。そんで連日連日何も知らん奴らから、『魔女の討伐』を讃える言葉を腐るだけ浴びせられ続けてたんだ。それが運命とはいえ、あいつは苦痛だっただろうと思うぞ」
 私は無言で頷く。
「そんなところに、どうして助けられなかった、死んでほしくなかった、と純粋に叫ぶお前が現れたんだ。そんなお前だから、あいつも『助けたかった』って言えたんだろうよ。そしてただ純粋に、アイラを助けてほしかったと言ってもらえたことは、確かに責めなんだろうが、それでもあいつは嬉しかったろうよ。どうあがいてもできないことだったと判っていても、自分が一番したかったことを、すればよかったのにと言ってもらえたことはな」
 これを聞いた時に、ああ本当にこの二人は一対だったのだと、アイラシェール姉様とは別の意味で、マリーシア王妃様とは別の意味で、この二人にとってお互いは紛れもなく半身だったのだと、そう心から思った。
 この半身を、あんな悲しい形で喪わなければならなかった陛下の悲痛は、察して余りある。だがそれは後の話として、まだ語るべきことは多くある。
 そう、賢者カイルワーンのいた宮廷。大陸統一暦1000年7月から、1005年9月27日まで。カティス王の宮廷において、最も激動で最も華やかだった時代。次には、そのお話をさせていただこうと思う。

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