彼方へと送る一筋の光 06

 英雄王カティスの治世は、大きく三つの時代に分けられる。その第二の時代が、統一暦1005年九月二十八日から1007年十月四日の二年間だ。
 この二年間は、誰もが表立って口にはしないが、暗黒の時代と呼ばれている。
 賢者の失踪により、宮廷からは火が消えた。陛下は荒んだ様を決して見せなかったが、紛れもなく寡黙になった。もとより臣下たちに多弁な方ではなかったが、ことさら内省的になった。「陽気で気さくなのは演じているだけだ」と評したのは兄様だが、陛下はそのうわべを取り繕う意欲を失ったらしい。笑顔も消え、ただ黙々と政務をこなす陛下に、廷臣たちはかける言葉を見つけられなかった。
 そしてそんな陛下のご様子に、誰もが危惧を抱いた。そう、お世継ぎの問題だ。
 1005年ですでに陛下は三十一歳。このままではウェンロック陛下の二の舞になる。にもかかわらず王妃はおろか、側妾の一人も置かない陛下に、廷臣たちは焦燥に駆られ、一部の貴族には廃帝をもくろむ動きすらあったらしい。
 しかしそれでも、そんな陛下に縁談を持ち込み、強行に推し進められた者は誰もいなかった。
 それくらい、この二年間の陛下は近寄りがたく怖かったのだ。
「何を案ずることがあるのですか、父上」
 世継ぎの不安をこぼす父に、私は呆れて言い放つ。
 何も知らない他の貴族ならばともかく、あなたが何を言い出すのか。
「アイラ姉様は、陛下の直系の子孫でいらっしゃるのですよ? そのことを知る父上が、何を不安がる必要があるのですか」
「だがしかし……」
「アルバはこの先二百年安泰なのです。余計な心配などしなくて結構」
 この問題は、ただ待てばいいことを私は知っている。だから私はそれまでの間、私の人生、その地歩を固めることに専念した。それはかねてから兄様の助力を得て、ひっそりと進めてきたこと。最終結果が確定となったのを見届けて、私はそれを父に突きつける。
「王立学院に入る? お前は何を突然寝ぼけたことを言い出すんだ」
「寝ぼけてなんかいませんってば。はい、合格証書」
 統一暦1006年。十七歳になった私は、学院から正式に届けられた証書を示して答えた。
「ちゃんと試験を受けて、合格しました。学費払えとは言いませんから、許可だけください」
 言い放つ私の顔と証書を当分に見比べて、父は驚愕のぬぐえない顔つきで答えた。
「そういう問題じゃない。ロスマリン、お前は女なんだぞ」
 予想通りの反応に、私は嘆息した。
 王立学院は1000年に兄様が創設した最高学府だ。アルバ発展の基となるべく予算が傾注され、大陸各国から優秀な教授たちが集まりつつあるが、その門戸が広く開かれているとは言い難い。
 創設から六年。生徒はいまだ貴族や富裕階級の男子だけだ。いまだ一人の女子も一般市民も、入学を果たしていない。
「王立学院の規則には、女性は入学禁止とも、入学者は男性に限るとも書かれてはいません。それでも前例がないということで、三年かけて学院の教授方が協議した結果として、学長自らこうして受入を表明してくださったのです。これでもまだ何か問題が?」
「三年って……お前、まさか」
「はい、王立学院図書館に出入りさせていただいたり、教授たちに個人授業をお願いしたりしていたのは、このための下準備でした」
 私が十四の頃から今まで毎日登城していたのは、王立学院の教授たちに教えを請い、親交を深めるためだった。賢者カイルワーンへの、教授たちの尊敬と信頼は厚い。兄様の口添えで授業を聴講し、面談と個人授業を重ね、そうして受験資格を得られる十七歳で私は無事に試験を突破することができた。
 残る壁はただ一つ、この両親だけだ。
 そんな私に、渋い顔つきで父は反論する。
「王立学院で行われている学問が、高い水準であることは認める。そしてそれが、王国の発展にいずれ寄与するだろうことも。だがそれほどの学問を、お前が修める必要がどこにあるのだ?」
「それは私がバルカロール家の妃がねの姫だからですか? 父上、その考えはもうお捨てになってください。この娘はその方面では、もう役に立ちません」
 己をばっさりと切って捨てた私に、父は動揺した。だがそんなことは早くから自明の理で、両親はもうそのことを含んでおいてもらわなくてはならない。
「事実はどうあれ、私はカイル兄様の恋人だと思われていました。そして今兄様の名は、この宮廷では禁句です。陛下は兄様のため、運命のため、兄様の痕跡をこの宮廷から払拭された。それにより、兄様を懐かしむことさえできなくなった陛下を心からお気の毒に思いますが、それはそれとして、事情を知らぬ大部分の貴族は、兄様のことに触れることは陛下の勘気を被ることだと思っています。そんな私が淑女として社交界に出ていくということが、どれほど気鬱なことかお判りになりません?」
「お前……」
「おそらく、どんな男性も私と兄様に性的関係があったと思っているでしょうし、女性からは幼くして宰相をたぶらかそうとして失敗した馬鹿な女と陰口くらいは叩かれるでしょうね。いいですか? この娘はすでに、社交界における『負け』が確定しているんです」
 私が自分に向けた冷徹な言葉に、父は顔色をなくす。だがこのことを兄様がいなくなった段階で思い至ってなかったとしたら、父は甘いだろうと私は思ってしまう。
 実のところ、私自身はもとより社交界に興味はなかった――というより、そこで名声を得られるような姫にはなれないことを、幼い頃から実感している。その劣等感は、今でも胸の底でくすぶったままだ。
 でも、ならば別の道を進めばいいと教えてくれたのは姉様だ。その道が何なのか、目を開かせてくれたのは兄様だ。だったら私は胸を張って、その道を行こうと思う。ただそれだけのことなのだ。
「王立学院に入り学者を目指すというのは、社交界と距離を置くにはいい口実だと思いませんか? 女だてらにとか、貴族の娘のくせに奇矯な、とかは言われるでしょうけど、兄様のところにあの年で出入りしていたことがすでに奇矯だったんです。だったらいっそ、奇矯を貫き通して、別の世界で利を狙う方が得策だと思いません? 王立学院からはこれから、新しい時代を担う優秀な人材が巣立っていきます。そこに私を通じて勢力を伸ばしておくことは、バルカロール家にとって損ではないと思いますよ」
 父は返事をしなかった。だが少しの理解と打算と苦渋と迷いさえ伺える相貌に、私は少し声を落として告げた。
「そしてこれは、陛下や兄様の臣としての気持ちです。これから王立学院が発展していくため、優れた人材を多く発掘するためには、もっと門戸が開かれなければならないと思います。でも父上、制度上の制限がないのに、それが実現しないのはなぜでしょう――邪魔をしているのは慣習とか常識とか社会の意識、ですよね」
「ああ」
「そういう目に見えない壁は、誰か一人でもまずとにかく突破すればいいんです。誰かが最初に『特例』を認められれば、次の者からはその『特例』が『前例』になる。そしてそれが普遍化すると。だから今ここで私が壁を越えれば、後に続く者たちの道が開けると思うんです。王立学院に女性が入学する――この『特例』が認められるのは私だからですよ。バルカロール侯爵令嬢で、創設者カイルワーン・リーク大公の妹分である私だから。私が今入らなければ、この後この壁を越えられる女性が次現れるまで、どれほど待たなければならないのでしょうか」
 私は自分が優秀だから、歴史に残る天才だから、壁を越えられるのだとは思っていない。それが叶うのは、私がアルバで最も特権を与えられた身分だからだ。恵まれた立場にあるからだ。
 それでも私が壁を越えてしまえば、道は開く。そのことには大きな意味があるだろう。
「アルバの王立学院には女性でも入れる。そうなれば、大陸全土から才気ある女性がここを目指すでしょう。……女が本当に男よりも劣っているのかどうか、学問が女にも必要かどうか、そういう論議はここでしたくはありません。そして王立学院が男女同率でなければならない、と言うつもりもありません。しかし、女性の中にも天才が現れうることは、父上にも国にも社会にも認めていただきたい。その天才を女だからといって潰すのではなく、寛容に認め、拾い上げ、生かしうる国になることは、アルバにとって決して不利益ではないと思います」
 私が王立学院に入ることは、その第一歩だ。私が先鞭をつけることは、この国を拓くことにもなるだろう。
 言うべきことを全て言った私に、父はしばらく黙った。だがやがて大きくため息をついて、こぼした。
「以前、大公閣下に言われたことがある。お前は私の娘としてではなく、ロスマリン・バルカロール一個人として歴史に名を残すと」
「あら」
「それはこういうことだったのか。なるほど、王立学院初の女子学生、か。確かにそれは歴史に名が残るだろう」
「そうですね」
 小さく私は苦笑いを浮かべた。それはかつての二人の言葉が脳裏をよぎったからだ。
 そうか、姉様や兄様は、私がこうなることを知っていたのか。貴族の娘としての定めに抗い、自分の思うままに突き進んでいく私の人生は、歴史に残っていたのかと。
 だから二人は揃って、自分の思うとおりに生きろ、迷わず自分の道を進めと言ってくれたのかと。
 でもそれも卵と鶏だな、と私は複雑な思いに駆られる。そう言ってくれた二人がいなければ、私はこの道を選べただろうか。そう思わずにはいられない。
 でももし二人に出会えなければ、そう言ってもらえなければ私は、姫としてあまりに不出来な自分への嫌悪に浸るあまり、うじうじとひねた女になっていただろう。ならばこれでいい、と思う。
 私は兄様と姉様に会えて幸せだった。その言葉に一つの偽りもない。
「判った、許す。だが入った以上は、女だからと馬鹿にされるような成績では許さん。先駆者でありたいと願うなら、それにふさわしいだけの結果を出せ」
「もちろんです」
 厳しくも当然の返答に、私は笑った。
 そうして私は王立学院に入学した。同級生たちは最初戸惑いと奇異のまなざしを向けてきたが、やがて慣れてくれた。その結果「ロスマリンが女にはとても思えない」と言われてしまうのは、まあ褒め言葉として受け取っておこうと思う。
 大学生となっても、私はバルカロール侯爵令嬢であるからして、家のために一応は社交界に顔を出した。その結果の半分は予想通りではあったが、半分は想定外だった。大学の同級生たちの中には大貴族の子弟も少なからずおり、社交界における学院の勢力は意外に馬鹿にならなかった。女性としては認めてくれなくとも、学友として私のことを認めてくれた同輩や先輩たちは、社交界においても私を敵とはしなかった。
 その結果、社交界においても総はじきにならずにすんだことは、家のためにも自分のためにも、まあ上々だと言えるだろう。
 そうして一年強。大陸統一暦1007年十月五日、私はその一報を講義が始まる前の校内で受け取った。
 それは長く宮廷を覆っていた暗闇を払う光。私が訪れを待ち望んでいたものだ。
 授業を欠席させてもらって、城に駆け込んだ。バルカロール侯爵令嬢ロスマリンが、大至急の謁見を賜りたいとねじ込んだ。待たされた幾ばくかの時間は、当人と侍従たちの逡巡を表していたのだろう。けれどもほどなく通されたかつての後宮の一室で、私のその方に出会う。
 一目見た瞬間、ああ、と声を上げてしまうことを止められなかった。それは嘆きではなく、歓喜。
 実は予感があった。もしかしたらそうではないかと思っていた。その実現に、私は胸の中にわき上がる喜びを押さえられない。
 この方に私は今まで、どれほどお会いしたかったことだろう。
「久しくお目にかかります」
 恭しく貴婦人の礼を取り、跪いた私に、その方は困惑の眼差しを落とした。
 以前会ったのは、もう十年近く前。それでもその姿は目に焼き付いていた。まるで南国に咲く大輪の花のように、艶やかなその姿は。
「覚えていらっしゃいますでしょうか、ロスマリン・バルカロールです。モリノーのバルカロール家で、一度だけお目にかかったことがございます」
「どうか姫様、お立ちになってください。私のようなものに、バルカロール家のご息女が頭を下げられるなど――」
「何を仰います。陛下が選んだ貴女様以上に尊い女性など、このアルバにはいないのです。私のことはどうぞロスマリンとお呼びください、マリーシア様」
 遠慮がちな言葉を遮って告げ、私はにっこりと笑う。
 昨夜陛下が市井から連れ帰り、王妃として迎えると宣言した女性、マリーシア。その方の前歴を知り、かつての名を知りながら、当然のように私は公にされた彼女の本名を呼ぶ。
 ああ、この喜びをどんなにしたら判っていただけるだろう。
 兄様、ロスマリンはやっとベリンダに出会えました。これであなたとの約束を一つ、果たすことができます。
 そして兄様、お喜びください。陛下を生涯支えてくださる方、その悲しみに寄り添ってくださる方が、やっと来てくださいました。
 姉様、あなたの親友である方、その行く末を誰より案じておられたであろう方に、ロスマリンも出会えました。伴侶となられる陛下は、本当にお優しく素敵な方です。きっとお幸せな家庭を築かれることでしょう。
 そして王妃となられることの困難、そのささやかな露払いは、どうぞ私にお任せください――。
「ロスマリン、お前一体どういうつもりだ」
 突然慌ただしく扉が開かれ、駆け込んできた人影に私は最上の笑みを浮かべた。とにかくこの方にも来ていただかないことには、話が始まらない。
「学院から取るもとりあえず駆けつけさせていただいたので、このような平服で拝謁賜ることをお許しください、陛下。……とりあえず、うちのうるさいのより先に駆けつけることに成功しましたこと、よければ褒めてやってくださいまし」
「……おい」
 こんな形でマリーシア様のところに突入すれば、報を聞きつけた陛下が心配して駆けつけてくるだろう。そしてその暴挙が伝われば、父も来ずにはおれまい。
 私は父や他の廷臣たちが余計なことをする前に、陛下とマリーシア様に願いでなければならないことがある。そのために今日この日まで、心の準備を整えてきたのだ。
「まずは僭越ながら、両陛下に心からのお祝いをさせてください。ご婚約、おめでとうございます。アルバ国民として、これ以上に喜ばしいことはございません」
「反対はしないのですか、ロスマリン様。立場から言えば、あなたの方がよっぽど王妃にふさわしいはず」
 マリーシア様の言葉に、私はあっけらかんとして陛下に問う。
「だって陛下、私は好みじゃないでしょう?」
 陛下は返事をしなかった。少し引きつるように浮かべた苦笑が、端的な答えだった。立場的心情的諸々の気遣いで可とも否とも言えなかった陛下の内心をありがたいとは思うが、今はそんなくだらないことを論議している場合ではない。
「父が宰相やバルカロール侯爵として、このご婚約に際しての方針を決める前に、私からお二人にお願いしたいことがあるのです。これが運命と歴史における、私の役割と存じます」
 最後の言葉に、二人の顔色が変わった。おそらくマリーシア様も、運命の存在を知っている。それは以前からの推測であったが、その確信を得て、私はかねてからの計画を願い出た。
「マリーシア様、私を貴方様付きの女官としてお召し上げください」
「なっ……」
 その言葉は同時に三人の人間を絶句させた。その時ちょうど大慌てに慌てた父がやってきたからだ。
 陛下やマリーシア様にすべき挨拶もそっちのけ、御前であることすら忘れ、父は思わず叫ぶ。
「お前は何を考えているのだ、ロスマリン!」
「別におかしなことではないと思います。対等の友人として王妃のお相手つかまつるべく、大貴族の令嬢や夫人が特別待遇の女官の地位を下されることは、別段珍しいことではありますまい」
 ルナ・シェーナ先代王妃にはいなかったが、ブロードランズ家何代かの王妃にはそうした一の女官が置かれていた。
 宰相の娘、北の大国バルカロールの姫である私以上に、今それが務まる者などいまい。
 しかし当の王妃は、困惑もあらわに言う。
「私のような下賤の者に、姫様がお仕えするなど……」
「マリーシア様。先ほどから申し上げている通り、このアルバで王妃より高い身分の女性などおられないのです。よろしいですか?」
 無礼も構わずぴしゃりと言い捨てた私に、マリーシア様は詰まった。生まれや今までがどうであろうと、王妃陛下たる者己を卑下してはならない。そう言外に突きつけた後、私は陛下に真摯に願い出る。
「これは私個人にとっても、両陛下にとっても、バルカロール家にとっても益となる策と考えます。聞いていただけますか?」
「まずお前個人の益は?」
 間髪入れず問うてくださった陛下に感謝し、私は話し始める
「私には、家や立場を背負うことなく、個人的にマリーシア様と親しくさせていただきたい、という望みがございます。私はマリーシア様に、お伺いしたいことが沢山あるのです――アイラシェール姉様のことを最後まで、一番近くで見ておられた方ですから」
「ええ……」
「王妃陛下のおそば近くに上がるのに、一の女官となる以上に楽な手段はありますまい。対等の話し相手として、いつでも何の制約もなしに伺候することができる。そして私は、国から正式な官位と身分を得ることができる。私は率直に、その立場と特権がほしいのです」
「なるほど」
「そして私が仕えるということは、バルカロール家が王妃陛下の後ろ盾についた、という端的な表明になります」
「ロスマリン、それは」
 自分の思惑を無視して、先に家の方針を決めてしまった娘に、父親は焦る。だから私は屹然として言い放った。
「やりなさい、父上。それが家のために切り捨てた、アイラシェール姉様へのせめてもの罪滅ぼしだと思いなさい」
 私の厳しい一喝に父は悄然とし、私は拳を固めた。
 判っている。今の私には判っている。父がそうするしかなかったことも、運命によってそれが全て定められていたことだということも。
 それでもなお忘れられない。忘れることなんてできない。あの悲しさを。あの悔しさを。
 自分の身代わりに犠牲にしてしまったのだと知った、あの日の絶望を。
 そのバルカロールが、姉様の親友であるこの方のために、そして陛下のために、全力を尽くさずしてどうする。
「今のままでは王妃陛下は孤立無援です。いかに国王陛下のご信頼とご寵愛があろうとも、宮廷生活は困難を極めるでしょう。この私は奇矯な姫で、社交界において権勢を保持しているとは言いがたいですが、それでも宰相の娘です。その私が直々にお仕えしているという事実は、やかましい宮廷雀どもに対する多少の重石にはなるでしょう。エルフルト・バルカロールに直で喧嘩を売りたい相手は、そうはおりません」
「……ありがとう」
 半分申し訳なさそうに、けれども半分は紛れもなく安堵に満ちてこぼされた言葉と笑み。もったいないそれをありがたく受け止めるも、どうしても苦笑と共に言わずにはおれない。
「……まあ陰でちくちくやられるだろうなとは思いますが、これはもうしょうがないと割り切っていただけますか。私も結構やられておりますので」
 これにマリーシアも同じ苦笑を返された。それはまさに同士に対する共感で、その時私は、この方ときっとうまくやっていけると思った。
「そして父上、このことをどうか理解してください。バルカロール家は王妃陛下の後ろ盾たるべきだと思います。しかし二度同じ手を使ってはなりません。それは他家の反感を買うだけです」
「同じ手、とは」
 問いを発したのは父ではなく、陛下。小さく頷いて、私は答えた。
「マリーシア様を養女とすることです」
 父はアイラシェール姉様を侯妃とする時、自らの養女とした。血縁のない人間を宮廷に送り込む時、確かにそれは常套手段だろう。でも今、その手を使うことは逆効果だ。
「今それをすれば、陛下が選んだ方を強引に身内に取り込み、さらに権勢を延ばそうとしていると解されるだけです。バルカロールがさらなる野心を抱いている、そう受け取られる行いは慎むべきでしょう。……でも、私が女官として仕えるというのはどうでしょう? バルカロールは娘を王妃より低い立場に置くと表明することで、王家への強い恭順の意志を示すことができます。バルカロールに二心はない、ただ王家に誠実にお仕えする、そのために娘を差し出すのだと明確に示した上で、王妃様の後ろ盾であると宣することができます」
 父は私の顔をまじまじと見た。信じられないようなものを見る目を向け、やがてしみじみと呟いた。
「……お前が男だったらなあ」
「それはどういう意味です?」
「お前、いい政治家になれたぞ」
「跡継ぎたくないのでいいです。弟に任せてください」
 このやりとりに、王と王妃は盛大に吹き出した。しばし快く笑い、やがて陛下は私に問いかける。
「本当にいいのか?」
「本人がやりたいと言っているのだから、やらせてください」
「学院はどうするんだ? 卒業までしばしかかるだろう?」
「女官といっても、女官寮に住居して一日中お仕えする立場ではありませんし、学院の授業も朝から晩まであるわけではありません。学院の敷地も王宮内ですし、毎日登城しているわけですから、王妃様の下にお伺いするのもたやすいかと思いますがどうでしょう」
 どこにも損も問題もないだろう。これが最上の策だと思うがどうか。そう言外に問いかける私に、ゆっくりと頷いて、陛下はその命を下した。
「ロスマリン・バルカロールを女官として、王命をもって迎え入れる。王妃マリーシアに誠意をもって仕えてくれることを、切に望む」
「拝命いたします。この命に代えましても、王妃様をお守りいたします」
「……いや、自分の命は大事にしてくれ。そうでないと俺は、カイルワーンに会わせる顔がない」
 突然の言葉に、私と父は目を見張った。
 陛下の口から、その名を聞くのは本当に久しぶりのことだった。
「ロスマリン、正直俺はお前にあの時以来、わだかまりを覚えていた。お前の顔を見るのが辛かった。だから、避けてた」
「……はい」
「そのことを申し訳なかったと、今は心から思う。お前の方がずっと小さかったのに、お前だってあいつを失って悲しかっただろうに、俺は自分で手一杯で、お前に何もしてやれなかった。あの時傷つけたままだった。このままでは、俺はカイルワーンに顔向けできないだろう。そう、やっと今思えた」
「勿体ないお言葉にございます」
 私はひざまずき、頭を垂れ、そう答えた。
 あの時傷つけたのは、私。むしろ私の方だ。そのことがずっと、私の心の中にも重くのしかかっていた。
 でももきっともう、そのことは考えなくていい。陛下の横には、もうこの方がいる。この方がきっと、陛下を救ってくださる。
 だから私もきっと、一歩先に進んでいい。そう思えたのは、僥倖だ。
「だからお前は、自分のことを考えていい。自分の道を進んでいい。そのための手助けを俺やマリーシアができるのなら、何でも言え。そしてその上で、俺にも言わせてくれ――マリーシアのことを、よろしく頼む」
「お任せください!」
 勢い込んで、特上の笑顔で応え、私は立ち上がる。
「そう仰ってくださるのならば図に乗りますが、私には一つ成さねばならない仕事があるのです。兄様から賜った、未来につなぐ大事な仕事です。それを果たすためには、父上にも、陛下にも、マリーシア様にもご助力いただかなければならないのです。お力添えいただけますか?」
「カイルワーンが、お前に……?」
 驚いて問いかける陛下に、私は小さく頷いた。
「長い話ですので、両陛下のお時間が許す時に、ゆっくりとお話しさせていただければと思います。ですがまず手始めとして一つ、私のわがままを聞いてくださいますか? 陛下の御命と女官の地位がないと、ちょっと実現しない企みがありまして」
 疑問符を浮かべるばかりの一同に、私は悪魔の笑みを浮かべて告げた。
「実はちょっと、潜り込んできたい場所があるんです。よろしくお願いします」

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