天を渡る風 (1)

 目を閉じれば、今でも鮮やかに思い出せる。
 天を渡り、地を行く風。
 さざめきを残して、揺れる金色の――。

 私の、緋凌。
 私の、偕良。





 妾たちが願って叶わないことがあるものだろうか? 彼女の目の前に座る年若い神仙が、そう言った。
 凛とした涼やかな声が、空気を軽やかに振るわす。
「荘言だな、若いの」
 茉莉花茶を口に運び、彼女はそう答えた。神界の東の果て――彼女の「封土」に建てられた四阿。茉莉花茶と開口笑を運んできた侍女も下がり、今は二人だけだ。
 果てから西へと渡る風が、二人の黒と深紅の髪を揺らす。
「その呼ばわりは失礼であろう。仮にも同列に叙された者を」
「では彩妃と呼べと? そなたたとて私のことを春公主などと呼ぶ気もないくせに」
くすくすと彼女は笑った。その子どもの稚拙さを笑うような響きに、年若い神仙――彩妃は、苛立った声を上げた。
「春螺」
「いい、いい。判った。それくらい、いくらでも譲ってやるさ、彩妃。だがな」
 笑いの波は瞬時で波の如く引いていく。そして代わりに峻麗な面を彩るのは、深い翳りと寂寥。
「我らが越えられぬものなど、腐るほどあるものさ」
 寂しげに告げる彼女――春螺に、彩妃は柳眉をひそめた。
「生まれて間もないそなたは、まだ巡り合ってはいない思いだろう。何でも手が届く。何でも越えられる。そう信じてやまぬ心は、むしろ健やかかも知れぬ。しかし」
「……しかし?」
 問い返した彩妃に、春螺は言った。
 少しだけ、昔話をしよう、と。
 一千歳、二千歳。どれほどの時を経たかは知れぬ。けれども一つだけ判っていることは。
 その時にはもはや、手が届かぬということ。

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