それでも朝日は昇る 10章1節

第10章  戦野に舞い降りたる者 ―大陸統一暦1000年―


「茶番だ」
 開口一番、バルカロール侯爵エルフルトは、議場の入口で待ち構えていた家臣にそう言い放った。
 アルベルティーヌの北に位置するイプシラント地方。中央陸路沿い、点在する森と、原野で構成される未開の土地は今、アルバ国民のみならず、近隣諸国全ての注目を集める地となっていた。
 ウェンロック王に取り入り、国政を専横とした寵妃・アレックス侯妃と緋焔騎士団。彼らの討伐を目的に、アルバ王国の諸侯は兵を挙げた。四方からアルベルティーヌを目指した軍勢が、集合地点として、そして国軍と雌雄を決する場として選んだのが、このイプシラント。
 三十余名の貴族は、それぞれに陣営を構え、決戦の時を今や遅しと待ち構えている――表向きにはそうだ。だが現実はそんなに単純ではない――いや、むしろ、単純すぎて馬鹿馬鹿しい、と侯爵は思う。
「会議に何か、進展はございましたか」
 自陣に戻ると、待ち構えていた将軍たちが出迎え、そう問うた。兵を徴募し、軍勢を構成し、戦闘に突入すれば彼らを指揮する傭兵隊長。そんな彼らの雇い主であり、統帥者である侯爵は、呆れ果てたように言い捨てた。
「あるわけないだろう」
「……今日もそうですか」
 それは侯爵がこの地に陣を構えて以来、繰り返されている会話。
 国王救出のお題目を掲げ、ラディアンス派とフレンシャム派が共に挙兵するまで、彼らの間でどのようなやりとりが交わされたのか、中立・敵対関係にあったバルカロール侯爵には判らない。彼らに迎合するためでも、孤立を避けるためでもなく、事態の成り行きを見届けるために自軍を率いて参戦した彼であったが、そこで見たものは、呆れるほどに宮廷と変わらぬ光景だった。
 設営一つにしても、そうだ。当然といえば当然だが、派閥同士で寄り固まっている。その境界線付近には衛兵が配置され、日々火花を散らしあい、小競り合いすら起きている。そして日々繰り返される軍議も、また。
「貴卿はアレックス侯妃の養父であろう。この事態に、責任というものを感じはしないのか?」
 当然上がる糾弾に、侯爵は苦虫を噛み潰したような渋面で答える。
「責任を取れというのならば、私が真っ先に城に突入して、落としてみせればいいのか? やれと言うのならば、やってみせよう。貴卿らが、それでいいというのなら」
 あからさまな厭味に、二派の者たちは沈黙する。そんな彼らに、侯爵は呆れ果てたため息をこぼしたくなるのだ。
 彼らの思惑はアルベルティーヌ解放戦の後までを見据えるが故に、非常に複雑だ。
 アルベルティーヌが落ちた後、二派の共闘関係が決裂し、敵対状態になることは火を見るより明らかだ。その時のために、どちらも自軍の勢力の損耗をできうる限り押さえたいと思っているだろう。
 だが、だからといってアルベルティーヌが、他派の軍勢によって落とされることは決して避けなければならない事態だ。もし他派の軍勢によってアルベルティーヌと城――ひいては玉座が占拠されれば、それは自軍にとって圧倒的に不利になる。
 先頭を切って戦いたくもない、だが他者に先んじられたくもない。そんな虫のいい話があるわけないだろう、と侯爵は思うのだが、二派共にここに到っていまだ、足の引っ張り合いや腹の探り合いをしている。
 もう侯爵には、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがなかった。
「事と次第によっては、戦端を開く前に離脱しようということで、ジェルカノディール公、ドランブル侯と意見が一致した。こんな茶番にいつまでもつきあってはいられない」
「それが、ようございますな」
 自分の住いとしている天幕に戻り、マントを外しながら家臣に侯爵はそうもらした。
「アレックス様のこともございます。侯妃の非道を正すという大義に我らが立つこともまた意義がございますが、御養女を自らお見捨てになるという行為は、やはり非道と受け取られかねないものでしょう」
 家臣の言葉に、侯爵は視線を落とした。
『父上なんか、父上なんか大嫌い!』
 耳に甦るのは、幼い娘の泣き声。アイラシェールを城に残し、モリノーの領主館に戻った彼にバルカロール侯爵令嬢ロスマリンがぶつけたのは、父の無事を喜ぶ言葉ではなく、その選択をなじる言葉だった。
『アイラシェール姉様が殺されると判っていて、どうしてお見捨てになられたのですか! どうして、どうして!』
 母親であるリフランヌはそんなロスマリンを叱責したが、その言葉は深く胸に刺さった。
 その問いかけは――疑問は、本当は自分自身こそが一番己に問いかけたいのだ。
 この日が来ることは判っていた。城に留まり、近衛の連中と道を共にすれば。それなのに、彼女はその道を選んだ。そして、自分はそんな彼女を止めることができなかった。
 そうして自分は、彼女に敵として対峙する。
 どうしてなんだろう――そう一番思っているのは、己自身だ。
 運命という言葉を、彼女は口にした。そして、先日出会ったあの青年もまた。
 全て決まっている人生――変えられない運命。二人が語った謎の言葉が、耳を回る。
「侯爵様……侯爵様!」
 呼びかけられて、侯爵ははっとした。物思いに沈んでいた彼に、家臣は気づかわしそうな表情を向ける。
「ああ、すまない。どうした?」
「お疲れであれば後日にいたしますが……お耳に入れたいことが」
「構わん。言ってみろ」
「各陣営にもぐり込ませてある内偵たちからの報告なのですが……兵卒たちの間に、妙な噂が広がっているようです」
「噂?」
「それが……」
 家臣が声をひそめて告げたことに、侯爵は顔をしかめた。
 侯爵がイプシラントに陣を構えたのが、五月八日。それ以来、完全に膠着していた状況が、いよいよ動き出したような、そんな予感がした。
 大陸統一暦1000年五月十八日、密かに静かに起こっていたさざ波に、貴族たちはそろそろ気づかされはじめていた。

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