それでも朝日は昇る 10章2節


 大陸統一暦1000年五月、イプシラントに集った――否、集められた兵卒の数は十万に登った。それだけの人間が集い、生活する場は、もはや街と呼んで差し支えない。
 戦場において、陣営が兵士だけで構成されることはない。その兵士たちの生活を支えるために、様々な職種の人間が同行するが、近隣の町村の商人たちにとっても、兵士相手の商売は絶好の稼ぎ場といえた。
 この時代の従軍は、食料や装備は通常兵卒各自の負担だ。だから戦場には、そういった必要物資を――特に、食料を商う商人たちが多く出入りすることになる。
「ほらほら、寄っていきなー、温かいスープ、一杯たったの五サレット! 具もたっぷり入って、力のつくこと間違いなしだよ!」
 夕暮れ時、露店の店主たちの声がこだまする。陣営の後方、広がった商売人たちの集落に、夕食を求める者たちが集まる。未調理の食物ばかりでなく、料理をこしらえて売る者も現れ、なかなかの好評を博していた。
 その露店も、そんな中の一つ。威勢のいいおかみと、体が痛むのか、どこかぎこちない動きをする寡黙な店主が、大鍋一杯に仕込んだスープを売りさばいている。
「おかみ、中に入ってるこの白いものは何だ?」
「よく聞いてくれたね。そいつはジャガイモといってさ、西の方から渡ってきたっていう食べもんだよ。寒さに強くて作付けも簡単、この飢饉の中でもちゃんと採れる優れ物。栄養満点、腹持ちもいい、その上うまいって、あたいらの故郷でも評判さ。なんてったって、さる高名な学者様が前もってこれを作ってくださっていたおかげで、あたいらの故郷は何千って数の人間がこの冬にも飢え死にせずにすんだんだから」
 木椀にスープをよそいながら、おかみは先程までの自慢げな口調を一転させて、もらした。
「それにしても、嫌なもんだね。こんな大変な時に、こんな風に、同じ国の中で戦争しなきゃならないなんてさ。あんたたち、どこから来たのかい?」
「俺らはオジリアから」
「じゃあ、北の方だね。ラディアンス伯爵様の領地かい。伯爵様は、亡き王様の跡目を狙っておられる御方だろう? 先陣切らなきゃならないあんたらも、大変だよねえ」
「亡き王様って……今の王様は、じゃあ、もう……」
 驚く男たちに、おかみはおや? とこともなく言う。
「あんたら、知らなかったのかい? もっぱらの噂じゃないか。ウェンロック陛下はとっくの昔に城の騎士団に殺されてしまっておいでだって。だからその後を争って、ラディアンス伯爵様と、フレンシャム侯爵様が城に攻め込もうとしてるんじゃないか――はい、お待ち。勘定は、旦那に払ってってね」
 スープをよそい、客に渡しながらも、おかみの口は止まらない。
「ラディアンス伯爵様とフレンシャム侯爵様じゃ、どっちが王になるにしても、決め手に欠けるだろうってのが、うちらの郷里の武器商人たちの噂するところだね。そりゃ奴らは、戦争が長引けば儲かる輩だからいいだろうけど、あたいはやだね。同じ国の者同士が、何十年も戦争続けなきゃいけないなんて、馬鹿げてるよ。それでどれだけの人間が死ぬのか、どれだけ農地が荒れて、どれだけの人間が飢えるのか。そう思わないかい? あんた」
 何でもない、世間話のようにおかみが語る言葉は、男たちに動揺をもたらす。それを見越して――見計らって、おかみはその定められた言葉を口にする。
「ラディアンス伯爵様とフレンシャム侯爵様が戦って、どっちかが次の王様になるか決める以外に、何か方法はないものなのかね? 二人が甲乙つけ難くて決められないのなら、誰か別の御方がなるとかさ」
 そうして夕暮れが過ぎ、夜も更ければ陣営のあちこちから嬌声が上がる。男たちはなけなしの金を従軍娼婦たちにつぎ込んで、一時の甘い夢に耽溺する。
「……いつになったら、故郷に帰れるのかな、俺」
 長い赤銅色の髪の娼婦に、その男は戯れの後、内心の不安を吐露した。娼婦は灌木の茂みの陰、男の体に己の身を重ねたまま、婉然と微笑んでいる。
「城を落として、魔女を滅ぼしたって、王様はもういないっていうじゃないか。城が落ちれば、王位を巡ってここにいる人間たちが、真っ二つになって戦争を始めることになるんだって」
「みんなそう噂してるわね」
「俺、不作で税金が払えなくて……その形に、ここに連れてこられたんだよ。城を落として、王様をお救いすれば、それで帰れるって思ってたのに……領主様同士が戦争なんか始めちまったら、俺たち、いつになったら故郷に帰れるんだよ。いつになったら故郷に戻って、自分の畑を耕せるんだよ」
 不安をぶちまける男に、赤銅色の髪の娼婦はにっこり笑って言った。
 耳元に、唇を寄せて。
「大丈夫よ。必ず神様は、私たちをお救いくださる。こうして苦しむ私たちを、神様は決して見捨てたりはなさらない」
「そんな……だって」
「こんな噂を、聞いたことないかしら? 前の王様には、表向きにはウェンロック陛下しか御子があらせられないことになっているけれども、実はもう一人、隠された御子がおありだった、という話」
 朱を差した艶かしい唇が、誘うように語る言葉が、男に陶酔と動揺をもたらす。
「王妃の嫉妬を恐れて、母君とともに城から逃れられた王子様――本当のことならば、この方こそが真の王だと思わない?」
 唆すように、そっと耳朶に絡みつく声。
「大丈夫よ。真の王は、必ず現れて、私たちをお救いくださる――」

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