それでも朝日は昇る 10章9節

 陣営は新たに発生した一軍を迎え入れるために、再編成を余儀なくされた。バルカロール侯爵、ジェルカノディール公爵、ドランブル侯爵の元から、再協議の上合計四千五百の兵がカティスの指揮下に入り、五百の竜騎兵がジェルカノディール公爵に貸与された。これでカティスの陣営は五千。それだけの集団の移動と設営は、当然大事となる。
 そしてカティスとカイルワーンの元を訪れる人もいまだ絶えない。
「カイルワーン閣下、ともはやお呼びすればいいのかな。久しくお目にかかる」
「やあ、クラリッジさん、お久しぶり」
 レーゲンスベルグの資金力の要、金融業者ギルドの代表クラリッジに、カイルワーンは屈託のない笑顔を見せた。
「おそらくこれからも、貴方にはお世話になることになるだろうから、よろしく頼みます。……なにせ王家には金がないから」
「そうでしょうとも」
 クラリッジも笑うと、懐から白い革袋を取り出した。それはカイルワーンが昨年のレーゲンスベルグの反乱の際に、彼に担保として預けたもの。
「燧石銃工場の譲渡の契約、私が確かに立ち会い、締結を確認しました」
「僕はもうレーゲンスベルグに戻ることはないだろう。となれば、現地にいる人間が運営した方がいいからね」
「代金は、確かに私が全額お預かりしました。それにより、貴方に融資した全額の返済が完了したことになります。ですから担保としてお預かりしたこれを、貴方にお返しいたします」
「そうか……そういうことになるか。忘れてたよ」
 恭しく差し出された白い革袋を受け取ると、カイルワーンはしばし思案に暮れた。だがカティスを呼び、注目が集まる中で告げた。
「僕と、レーゲンスベルグギルド連合からの慶賀の品だ。受け取れ」
 突然のことに、訳が判らないながらも受け取り、革袋の中身を取り出し――そしてカティスと居合わせた者たちは皆、言葉を失った。
 カティスの手のひらの上、滑らかな球面を見せる石は、六月の光を浴びて輝いている。
「世界最大のダイヤモンド『スタリナ』だ。家宝にしろ」
 鶏の卵より少し小さいくらいのダイヤは、なるほど世界最大と呼ぶにふさわしい大きさだ。こんなにも巨大なダイヤを見たことがある者は、アルバ貴族でさえただ一人もいなかった。
 どよめきが上がる場を見ながら、カイルワーンは誰にも明かせぬ苦い思いを胸の中にこぼした。
 本当はクレメンタイン王は、これをアイラシェールに渡したかったのだろう、とカイルワーンは思っている。王女の証として、家宝の一つを託したのだと。
 だがそれは自分の手に残り、結局彼女を責め滅ぼす軍隊の資金として使われる定めとなる。それが白い革袋に与えられた、運命。
 しかしそうだとしたら、この石はどこから沸いて出たのだろう? という時間の矛盾をカイルワーンが考えていた時、カティスの困惑に満ちた声が耳を打つ。
「で、お前はこれを俺にどうしろと?」
「……どうしろと言うと?」
「こんなにでかい石を、つけて歩くわけにもいかないし、だからといって、売り払うわけにもいかないんだろう? 何に使えと」
「…………」
 その物言いに、カイルワーンは苦笑した。
 あれだけ貧困に苦しみ、惨めな思いをしながら育ったというのに、この欲のなさは何だろう。財宝に目の色を変えることもなく、狂喜するでもない彼のその態度に、カイルワーンとしては苦笑するしかない。
 それもまた、彼の彼たる所以なのだろう、と思いながら。
「……いや、それじゃまた、借金の形にでもするか」
 次に現れたのは、諸侯たちの度肝を抜く風体の人物。
 ひょこひょこと、三つ編みのお下げが元気よく揺れた。
「ご機嫌麗しく存じます。もはや殿下とお呼びすればよろしいのですね。覚えていらっしゃいますか? ビアンカ・ピスターチェです」
「……忘れるわけないよ」
 少しだけうんざりした色が混じった苦笑を浮かべ、答えたカティスに、ビアンカは満面の笑みを浮かべた。
「本来であれば、このような晴れがましい場には父が参るべきですが、体調を崩しておりまして、私が代理で参りました。――カティス殿下。カイルワーン様よりご依頼を受けておりました品を、今日ここで納めさせていただきます。殿下の具足の製作を承りました栄誉、ピスターチェ工房代々誇りにいたします」
 やっぱり、とカティスは内心で呟いた。あれほど全身の細密な寸法が必要なものなど、一つしかない。
 男たちが運んできたものに、居合わせた者たち全てがため息をついた――カティスとカイルワーンを除いて。それは 誰もが見たことのない、美しい色を放つ。
 深い青色の地、そしてそこに浮き上がる金の模様が美しい、見事な半甲冑――それがカイルワーンがカティスのために用意した『贈り物』だった。
「模様はエッチングでアラベスク模様を彫り込み、金鍍金で仕上げました。地の色が銀では折角の金鍍金が映えませんので、思い切って紺地仕上げに挑戦いたしました。どうです? 綺麗でしょう? ピスターチェ工房、会心の一作です!」
「………………」
 カティスは答えなかった。実は彼はそれを見た瞬間から、絶句していたのだった。
 この鎧を作るために、どれほどの金と労力、そして最新の技術がつぎ込まれたのか、カティスにも一目で判った。確かに、それほどまでに美しく見事な鎧ではあった。
 だが。
「カイルワーン、お前……本当にこれを俺に着ろというのか?」
「似合うと思うよ。着てみなよ」
 しれっと答えるカイルワーンに、カティスの怒声が飛んだ。
「こんな派手なものを着て、戦場に出ていったら、四方八方から狙い撃ちにされるのがオチだろうが! お前は俺を殺す気か!」
「カティス、戦場での君の役割はなんだい」
 だがその声にも動じず、カイルワーンは強い口調で言った。
「前線に立って全軍を指揮すること」
「そう。そしてもう一つある」
「なんだ?」
「目立つことだ」
 この言葉に、カティスは開いた口が塞がらなかった。そんな彼に、カイルワーンは意地の悪い顔をして言ってのけた。
「君は全軍の旗頭だ。君がそこに存在している、ただそれだけで兵の士気は鼓舞される。君の戦場での仕事は、敵を打ち倒すことでも、勇敢に戦って散ることでもない。君めがけて襲いかかってくる全ての敵から身をかわし、決して打ち倒されることなく、その上で一際目立ってその存在を全軍に誇示し続けること――それが君の役目だ。違うか?」
 カティスは反論を試みようとしたが、だがそれは徒労に終わった。何かを言いたそうに口を開きかけ……だが結局その口をつぐむ。
 無言で甲冑を身につけると、そこかしこで感嘆の声が上がった。
 濃紺の鎧は金の髪と堂々とした体躯に見事に映え、腰のレヴェルと比して何の遜色もない。それは誰もが理想として描くような、見事な騎士の――英雄の姿。
「それにしても、どうして半甲冑だったんですか? カティス殿下ほどの方ならば、重甲冑でも負担にはなりませんでしょうに。……ああ、勿体ない。殿下が重甲冑を身につけられましたら、どれほど見事だったことでしょうに」
 夢見る乙女の風体で、残念そうに呟くビアンカに、カイルワーンまでが苦笑する。
「ビアンカ、ビアンカ。現実に戻っておいでよ。儀式用の重甲冑、発注するからさ。多分必要になるだろうし」
「ありがとうございますーっ!」
 天にも舞い上がりそうな勢いのビアンカに、他の貴族たちもまた注文を持ち込む。その様子を横目に見ながら、カティスは生じた疑問をカイルワーンにぶつけた。
「儀式用?」
「だって君、本当は半甲冑すら嫌なんだろう? 重いから」
「重甲冑つけたところで、動けなくなるわけじゃないが……まあ、そうだな」
「カティス、一つ未来のことを教えて上げようか。この時代を境に起こる、戦争における劇的な変化について」
 カイルワーンは遠いところを見て、預言をする。
「身を守るためのものとして発達した甲冑が、その重さ故にかえって足を引っ張る――その矛盾がもたらした結末は、何だと思う?」
「さあ」
「僕の時代の軍隊は、一部の重騎兵以外、防具の類を一切身につけない。一兵卒も将軍も、厚地の外套一枚だ」
 その言葉に、カティスは目を見張った。
「それじゃあ、斬られたり撃たれたりしたら」
「それで終わりだ。だがそれが、最も効率のいい戦術なんだ。だって、甲冑を身につけていようがいまいが、撃たれたらそれで終わりなんだから、身軽な方が生存確率が上がるんだよ」
 剣撃は防いでくれた鎧も、威力の強い銃弾の前にはなす術もない。そしてカイルワーンが言いたいのは、それだけではないのだろう。
 カティスの視線の先に、それはある。
「……じゃあやっぱりあれは、攻城用じゃないんだな」
 レーゲンスベルグの荷の中に、それは存在した。台車に乗せられた、鉄製の丸い筒。
 それは紛れもなく、砲だ。だが今まで攻城用に用いられてきた砲よりも、ずっと小さい。
 あの大きさでは石組の城砦は破壊できない。だがその代わり、三人もつけば機敏に運ぶことができるだろう。それの意味するところは――。
「お前はあれを、人に向かって撃つ気なんだな」
 間違いなく非難を帯びて向けられた言葉に、カイルワーンは屹然と言い返した。
「何で殺そうが、人殺しは人殺しだ。カティス、君にもそのことは判っているだろう」
「カイルワーン――」
「英雄? 救世主? 馬鹿にしている。僕たちはただの人殺しだ。自国の民を殺し、他国を征服する。……言い訳なんてできない。それが真実だ。だがたとえどう言われようと、それを遂行するのが僕たちの負った責任だ」
 震える声に、そっとカティスが触れた。
「……悪かった」
「これからどんどん戦争は、陰惨なものになっていく。騎士道も、尊厳も、正義も何もない。兵は銃弾や砲弾にたやすく吹き飛ばされ、味方を壁にして生き残った者たちがその死体を踏んで突撃する。少し前から起こりつつあった新しい戦争の形が、ここで一気に花開く。……判ってる。僕がやらなくても、遅かれ早かれ誰かが始めたことを。止められないことを。だけど、どうして……どうして」
「もういい。もうそれ以上言わなくていい、カイル」
 痛みにあふれた声が、頭に乗せられた大きな手が、カイルワーンの言葉をさえぎる。カイルワーンはその手を払いのけようともせず、ただ俯いた。
「僕は本当に……何をやってるんだろうね」
 その言葉が矛盾し、裂かれるカイルワーンの二つの性質を表していることを――それがカイルワーンの痛いほどの本音であることを、カティスは誰よりも判っている。

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