それでも朝日は昇る 11章1節

第11章  それでも朝日は昇る ―大陸統一暦1000年―


 何のために戦うのか。本当は考えていけない疑問。
 けれどもそれは誰の胸をも、ちりちりと音をたてながら焼いた。


 じりじりと進軍を続けていた両軍は、ミモレ川を挟んで対峙する。前衛右翼部隊を率いていたカティスは、馬上から敵陣の配置を見据える。
 カイルワーンの預言通り、敵軍前衛は長弓兵と火縄銃兵で構成されている。ティスリンやツェルケニヒで敵を蹴散らした精鋭だ。それにカティスは複雑な思いを抱いた。
 カティス率いる革命軍の最大の弱点は、乗っ取りの過程で諸侯に見せつけるため、己の装備の手の内をさらしてしまったことにある。集まった群衆の中に、国軍が放った間諜が紛れ込んでいないはずはないから、自分たちが相当の火砲を用意していることは伝わっているはずだ。――それでなくとも、彼らには預言者であるアイラシェールがいる。彼女はカイルワーンが、千梃の新型マスケットと二十六門のカノン砲を用意したことを知っているはずだ。
 それなのに、正面からの撃ち合いになるこの配置を彼らは選択した。それは彼らがこちらの火砲の性能を高をくくったのか、自分たちがまずは突進してくると読んだのか、アイラシェールが何も伝えなかったのか。
 それとも彼女がむしろ、国軍の壊滅を自ら狙ったのか――。
 カティスには判らない。判りたい、とも思わなかった。
 何が判ったところで、目の前の現実は変わらない。彼らと戦わなければならない、この現実は。
 何のために、戦わなければならないのか。心の中に疑問が明滅してやまない。それなのに、彼らは前進してくる。同じアルバの民、同じ国民。おそらく抱いている願いすら――戦う理由すら等しいのに、それなのに彼らと自分たちは戦わなければならない。
 何のために。その言葉の代わりに、カティスは手綱を強く握りしめ、鼓手に告げた。
 距離を詰めてくる国軍は、もはやカノン砲の射程距離内。
「撃て!」
 合図に火を噴いた十二門の砲。信じられないほど呆気なく、人が吹き飛んでいく様をカティスは見た。右翼の砲声を合図に、ジェルカノディール公爵の左翼の砲もまた国軍に撃ち込まれる。
 耳をつんざく、轟音につぐ轟音。舞い上がる砂塵、木の葉のように舞う影。流れる血すら見えないほどの距離で、人が弾け飛んでいく。
 その光景に、カティスは手綱を強く握りしめた。
 一方、その攻撃をまともに食らった国軍前衛右翼、その指揮を受け持っていたエスターは、目の前で展開される事態に、一瞬自我をなくしかけた。
 自軍がまるで焼物を割るかのように、たやすく粉砕されていく。
 敵が戦場に砲を持ち出してきたことは知っていた。それをエスターを始め騎士団員は笑い物にしたのだ。火砲が現在、極めて制御の難しい兵器であるのは常識だ。暴発は当たり前で、二、三発も撃てば熱と衝撃に砲身が耐えきれず使用不能になる。その重さは、動かすのも容易ではない。そんなものが何の役に立つと――だが、この目の前の光景はなんだ。
 これほどの連射に耐えうる鉄。そしてそれを作り上げられる精錬技術。それはあり得るはずもないものなのに。
「全速前進! 早く射程距離に入れ! 砲撃はそんなに続けられるものじゃない!」
 いかに砲に威力があろうと、前衛の兵全てを吹きとばすものではない。残された兵は指揮官の命に前進する。
「砲兵を潰せ! 歩兵の進路を確保しろ!」
 だがそれは、彼らが相手の銃兵の射程距離に入るということと同義でもあった。革命軍最前列は下馬した竜騎兵隊――燧石銃が、隊長の号令に火を噴く。
 そこには見えない壁がある、とエスターは感じた。突撃した兵たちを阻み、倒す目に見えない壁が。いたずらに損耗を増すばかりで、決して先に進むことができない。
「動くな。動くなよ。今はまだ砲兵に任せろ」
 カティスははやる自軍の兵たちを、そう声を上げて制する。自軍がはやって飛び出せば、砲もまたその前面へ移動せざるを得なくなる。前衛の役目は、ぎりぎりまで火砲で敵軍を削り、そしてその目をこちらに引きつける――時間稼ぎをすることなのだから。
「撃て! 景気よく撃て! 侯爵たちの架橋がすむまでは、俺らが奴らを引きつけなければならないんだからな!」
 革命軍前衛左翼、ジェルカノディール公爵はやはりはやる兵をなだめながら、目の前に広がる光景を満足半分、戦慄半分で見つめた。カイルワーンが自分に貸与した、五百の竜騎兵と十二門のカノン砲の威力をまざまざと見せつけられた公爵の顔に、苦いものが浮かぶ。
「いずれこのやり方が定石になるのだろうな。砲と銃が見境もなく敵を吹きとばす、この戦い方が。……だがそれにしても、何ともえげつない、金のかかる時代になるものだよ」
 レーゲンスベルグと緋焔騎士団。目の前の光景は、時代の変容の象徴としての二者を、露骨なまでに浮き彫りにしている。
 この光景の中に、騎士はいらない。銃の登場以来その意義を失いつつあった彼らは、今日この瞬間、完全に息の根を絶たれる。その彼らの息の根を止めたのは、都市だ。都市のみが作り出しうる兵器が、戦争の勝敗の行方を――国の行く末さえ左右する。
 それが、この新しい世界だ。そしてその時代の扉を開いたのは、言うまでもなく。
「閣下……貴方は本当に、恐ろしい人だ」
 公爵は戦斧を握りしめて、戦場を睥睨した。
 その頃本隊のフィリスは、窮地に陥った前衛部隊の援護に忙殺されていた。敵は一向に前進する気配を見せず、火砲の勢いに衰えは感じられない。このままでは一方的に狙い撃ちされるばかりだ。
 だからそれに気づいても、対応することができなかった。
 正面で対峙する前衛部隊の上手と下手、二カ所から敵軍の別部隊が架橋し、渡河しようとしている。これを許せば、自分たちは横から挟撃される。
 本隊から部隊が分離し、渡河部隊を阻もうと迫るが、それを見て取った革命軍は砲火の矛先を迅速に変えた。狙いすました援護射撃に、架橋部隊の阻止はままならない。
 そしてついに橋頭堡が築かれ、どっと騎兵と歩兵が自軍に向かって雪崩を打ってくるのを、フィリスは見た。
 そしてその部隊を率いているのが、誰であるのかも。
「この……この裏切り者!」
 渡河部隊左翼を率いているバルカロール侯爵に、届かぬと判っていてもなお、フィリスはその叫びを上げてしまう。
 バルカロール侯爵、ドランブル侯爵の部隊が架橋に成功し、国軍と白兵戦に突入したのを見越して、カティスとジェルカノディール公爵は号令を発する。自分たちが動けば、後ろの本隊も続いてくる手筈になっている。
「全軍前進!」
 かくして国軍は、完全に三方から包囲された。

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