それでも朝日は昇る 2章12節

 鳥が鳴くささやかな声に、アイラシェールは深い眠りから覚めた。古いが磨き込まれた窓からは、朝の光がいっぱいに差し込んでいた。
 目を開いた瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれた。
 見ていたのは、ひどく悲しい夢だった。けれども、どんな夢だったか思い出せない。
 どうして私泣いてるの? こんなに悲しいの? 自らに問いかけた時、答えが閃いた。
 思い出してしまった。
 悲しかったのは夢じゃない。夢だったのなら、どれほど――。
「アイラ……?」
 ためらいがちにかけられた声に、顔を動かすと、切ないほどに見慣れた顔が映った。
 明かに憔悴の色が見える、白い面差し。
 自分が死ぬほど憧れた、黒い髪と黒い瞳。
「カイルワーン……」
「まだ起きない方がいい。疲れてるんだ。体を休めていた方が」
 アイラシェールはカイルワーンの言うことをきかなかった。半身を起こし、ふらつく頭を膝頭にしばしうずめて……やがて、言った。
「どうして、行かせてくれなかったの……」
「アイラ……」
「行っていたら、こんな思いをしなくてもすんだのに。誰も私のために死ななくてもすんだのに」
 アイラシェールは顔を上げ、カイルワーンを見た。赤い目に見る間に涙が浮かび、散る。
「オフェリア姉様や、エリーナ姉様は助かったの? 抜け道を通ってここへきた? お母様は、博士は、コーネリアは!」
 激しくぶつけられる言葉に、カイルワーンは何も答えられない。
「誰も来なかったんでしょう! 誰も助からなかったんでしょう!なのにどうして私だけがここでこうしてのうのうと生きてるの! どうして私だけが! どうして魔女の私が生き残って、みんなが死ななきゃならないの!」
「君は魔女じゃない!」
 ただ一つだけ、カイルワーンにとって許せないこと。アイラシェール本人とて――いや、だからこそ、決して許せないその言葉に、カイルワーンは叫ぶ。
 アイラシェールがそれを口にしたら、クレメンタイン王やオフェリア、コーネリアや博士の思いは――そして彼の思いは、あまりにも報われない。
「冗談でも、二度とそういうことを言うな!」
「私は魔女よ。預言の通り現れ、この国を滅ぼした」
 震える声が、決してカイルワーンが認められぬ言葉を紡ぐ。
「イントリーグ党の背後に外国がいるのなら、その目的は混乱による国の弱体化に他ならない。必ずその国は、遠くないうちにアルバに攻め込んでくる――二百年前、カティス王即位前後の混乱期に、センティフォリアとノアゼットがこぞって攻め込んできたように。そして今のアルバには、外国と戦う力はない……」
 アイラシェールの言うことには、一点の読み違えもなかった。カイルワーンは反論できず、だが認めることもできず、ただ無言でアイラシェールを見つめる。
「国を滅ぼし、大事な人たちを死なせ……これが魔女以外のなんだって言うの……」
 自嘲というにはあまりにも痛々しく、自らを苛むようにアイラシェールは呻く。
 そんな彼女の悲痛に、言葉に、カイルワーンは何も言えない。
「出ていって……私を独りにして……」
「アイラ……」
「出ていって! カイルなんか嫌いよっ! 誰が助けてくれって頼んだの? 誰が生き残りたいって言ったのよ! 私がいつも、どんな気持ちでいたか知らないでしょう! 私がどれほど恐かったのか、私が何が恐かったのか!」
 目に涙をいっぱいにためて、アイラシェールはカイルワーンに叫ぶ。
「みんなが好きだった。みんなのためになら、私にできることは何でもしたかった。それなのに、私には何にもできることがなかった! してもらう一方で、何もしてあげられなかった。だからせめて、私のためにみんなが迷惑する時が――危険にさらされる時が来たら、私、喜んで出ていこうと思ってたのに……私のために、誰かが犠牲になることが、一番恐かったのに……どうしてよ! どうして先に死んでいくの! こんな私に何の価値があるって言うの!」
 アイラシェールの慟哭が、カイルワーンの胸を掴む。
 すべて覚悟していたはずだった。それでもその声は、カイルワーンの耳を、心を苛む。
「出ていって! 顔も見たくない!」
 泣き伏したアイラシェールに、もはやかけられる言葉もできることもない。何も言わず部屋を出て……カイルワーンは、壁にもたれてへたり込んだ。
 どうして――アイラシェールの言葉が、耳から離れない。
 そんなこと、言葉で説明できるもんか。そうカイルワーンは内心で毒づく。
 クレメンタインの、オフェリアの、コーネリアの、リメンブランス博士の。
 そして自分の、思い。
 自分のことを魔女だと言う。何の価値があるのかと問う。アイラシェールの痛みは、哀しみは、辛さは、痛いほど判る。
 それでも。
「それでも僕たちは、君に生きていてほしかったんだ……」
 二人の慟哭を、ただ大きな青い鏡だけが静かに見ていた。
 青い、鏡だけが――。

Page Top